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■ライトウェイトスポーツのアイコンが60歳に
英国が生んだ名作オープンスポーツ、ロータス エランが2022年10月17日に誕生から60周年を迎えました。
国産ライトウェイトの傑作、ユーノス ロードスターの「師範」とも言われるエランはどんなクルマだったのか。改めて振り返ってみましょう。
●自動車業界の常識を覆したロータス
1962年10月17日、ロンドンのアールズ コート エキシビション センターで開幕した英国国際モーターショー。そのロータスブースで披露されたのが、エラン(コードネーム:タイプ26)でした。
当時はジャガーEタイプやACコブラ、シボレー C2コルベットなど、大排気量のハイパワースポーツが勃興していた折ですが、エランはそれらとは一線を画す独自の路線を追求。
いかにもスマートでエレガントなプロポーションをまとう、操る楽しさを徹底的に重視したライトウェイトスポーツとして仕上がっていました。
創業から10年のまだまだ新興メーカーだったロータスですが、コーリン・チャップマンやヘイゼル・ウィリアムズらの努力と才能により、すでにF1グランプリで8度の勝利を経験し、ル・マンでも複数の栄冠を獲得していました。ロンドン北部のホーンジーで産声をあげた小さな小さなエンジニアリング会社は、自動車業界の常識を覆すパワーを秘めていたのです。
●エランの初披露はフォードのショールーム
じつは、エランが初めてお披露目されたのは、ロンドンショーよりも1週間前のこと。まずお目見えしたのは、リージェントストリート88番地にあったフォードのショールームで、VIPやメディア、ロータス/フォード両経営陣らが出席する特別な内覧会でした。
なぜフォードのショールームだったのかといえば、エランに搭載していたのは「ケントエンジン」の通称で知られるフォード製ユニットの改良型であり、さらにギヤボックスやディファレンシャルをはじめ、複数の細かい部品にもフォードのコンポーネンツを利用していたのが理由といわれています。
●ロータス初のバックボーンシャシーを採用
1962年にロードスター仕様から投入したエランは、翌1963年にハードトップをオプションに設定、1965年にはクーペ仕様も追加しました。
ロータス初の「バックボーンシャシー(前後車軸の中心線上に「背骨」を配置。そこにエンジンやサスペンションを取り付ける方式)を採用したロードカーであり、そのシャシー技術は後にヨーロッパ、エクセル、エスプリへと継承されています。
バックボーンシャシーだけでなく、ファイバーグラス製のボディや、四輪ディスクブレーキ、前後独立懸架サスペンションといった革新的なテクノロジーを総動員していたエラン。
デザインを手掛けたのは、名デザイナーのロン・ヒックマンでした。彼は、DIY作業台の定番である、ブラック&デッカー社「ワークメイト」の発案者としても知られています。
●英国のカントリーロードは「向かうところ敵無し」
最初のエランは車体重量がわずか640kg。そこに100馬力を発生する1499ccのツインカム直4エンジンを搭載してデビュー。さほど間を置かず、排気量を1558ccに拡大し、最高出力も105馬力に向上しました。この改良に伴い、初期エランもすべてこのユニットにアップグレードされています。
1973年に登場した強化版「エラン スプリント」は、0-60mph(約97km/h)加速6.6秒を記録。現代人にはさほど驚異的な数値に思えないかもしれませんが、当時としては圧巻の性能です。軽量な車重とあいまって、カントリーロードでは向かうところ敵無しのパフォーマンスを誇りました。
●エリーゼに続く生産台数を記録
コリン&ヘイゼル夫妻が子どもたちを授かり、チャップマン一家のライフスタイルが変化したことに伴い、エランにも新しいモデルが登場しました。それが1967年のエラン+2です。
後席2座は必要最小限のスペースではあったものの、決して「臨時席」ではなく、大人2人と子ども2人が自分たちの荷物を積み、快適に旅行できるクルマとして仕上がっていました。
シリーズ4まで熟成を重ねながら、エランは1973年に、翌1974年には+2モデルも生産を終了。モデルライフ中に累計1万7392台を生産したエランは、エリーゼに続く成功車としてロータスの歴史に刻まれています。
(三代 やよい)