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■使う人のことを考えて生み出すのがヤマハのものづくり
●生きるために必要ではないけど、無ければ生きていけないもの
コーヒーって、いわゆる嗜好品ですよね。
人間が食べて生きていくために絶対必要なもの、ではありません。
けれど、「ワタシ、コーヒー無しには生きていけない人なんです」というセリフをどこかで聞いたことがあるように、嗜好品は人間がアニマルとしてではなくヒューマンとして生きていくためには必要なものとも言えます。いわば、文化です。
文化は進化したり磨かれたりして、より優れたものへと変化していくもの。人が良いものへ憧れることで、こだわりが発生します。
こだわりのコーヒーとして知られるアメリカ発の「ブルーボトルコーヒー」。注文を受けてから挽いたコーヒー豆で一杯ずつドリップして提供するブルーボトルコーヒーでは、コーヒーを抽出するためのドリップにこだわりました。
そのための器具にも当然こだわり、コーヒーの粉をペーパーでこすための受け皿となる、一見コーヒーカップのように見える「コーヒードリッパー」は、伝統ある陶磁器の「有田焼」にこだわっています。陶磁器は熱伝導率や温度変化、味や臭いが移らないなどの影響から選ばれたのでしょう。その中でも有田焼の窯元「久右エ門」に世界中のブルーボトルコーヒー用ドリッパー製作が一任されている、これは、その製作精度の高さへのこだわりからのようです。
●有田の窯元「久右エ門」の精度をさらに高める治具
ブルーボトルコーヒーのドリップ式コーヒーは、ドリッパーの底に開いた、見たところ5mmほどのひとつの穴からコーヒーが落ちてくるわけですが、コーヒーの出来を大きく左右する、ドリッパーの抽出口の穴の精度にブルーボトルコーヒーではこだわります。この穴が要(かなめ)だというのです。
久右エ門によると、2015年にアメリカよりオリジナルドリッパーの製作依頼を受け、MIT卒業の物理学者が佐賀県有田に訪れ、7種類の試作品の中からコーヒーの抽出に最適な形状と抽出口サイズを決定したとのこと。
そうやってこだわり抜いたサイズと形状ですが、陶磁器とは粘土から形作られ、乾燥や焼結によって縮んだり、釉薬によって厚みを増したりもあり、製品になったときのサイズコントロールは非常に難しいもの。これを可能とするのが久右エ門ではありますが、最終検査で抽出口のサイズは公差内には収まっているか確認が必要です。
当初、ドリップに最適な穴に出来上がっているか確認するための「検査治具(ジグ)」がアメリカから運び込まれました。ステンレス製で、直方体の両端には、ほんの僅かに直径が違う円断面のロッドが大きさを計るゲージとして付けられたものでした。片方は細く、片方は太いのです。焼き上がったドリッパーの穴が小さすぎると細いゲージが通らず、大きすぎると太いゲージが通ってしまう、という原理でサイズの確認ができるものでした。正しく作られたものは小は通すが大は通さないことでOKとなる。つまり、検査に2工程必要だったのです。
その検査治具はアメリカで作られたものだったそうですが、その会社が事業を畳んだため、とあるつながりでヤマハ発動機にその「後継器」製作の話が舞い込んできました。
世の中に流通させるものでもなければ、製品化するはずのものでもない。そこで、社内の「試作グループ」にその製作が任されることになります。
●メーカーにおける非常に重要なポジションの「試作」
試作グループとは、その名の通り、主に「試作品」を製作するところ。社内の様々な部署からの依頼に応え、量産品となっていないものを試作品として作り出します。
いわゆる試作品の他に作る特徴的なものとしては、レースで使用する部品があります。あのMoto-GPで世界チャンピオンを何度も獲得したYZR-M1のフレームやエンジン、その他の主要な部品も試作グループで作っている、と言えば、どれほどの技術者集団か、想像できます。
そんな凄腕チームがコーヒードリッパーの穴だけを確かめるための器具を作ったらどうなるか? 初代のアメリカ製検査治具とはまったく違うものができたのです。
まず、検査のために穴に通すためのゲージは、1本です。まっすぐな円柱状の丸棒を差すのではなく、テーパー状(円錐状側面の斜め)になったもので細い先のほうが通って、ゲージの途中の太くなった部分で止まるような原理です。その基準となる「ここからここまでの間に入ればOK」という目印になる溝が掘ってあります。
そうすることで、検査のため穴に通す回数は一回で済みます。検査工数が半減できるわけです。
しかし、言葉で「細いところから太いところ」と書いてイメージするよりも、遥かにその細い太いに差はありません。見た目にはテーパーでなくまっすぐの棒に見えます。それほど高い精度が求められるわけです。
さらに、ドリッパーの穴は丸ですが、世の中には絶対的な真円は存在しません。どんなに精度を上げてもわずかな楕円状の歪みはできます。水分を乾燥させたり塗り工程のある磁器ならなおさら言うまでもありません。
それでも検査を円滑にすすめるよう、検査治具のゲージは円断面ではなく楕円断面になっています。そうすることで、真正面から検査治具を差さなくてもサッと穴に入っていく、検査する人へ優しい設計となったわけです。
●グリップのブルーは「ヤマハだから」ではなかった!
手にするグリップ形状もゼロベースからスタートします。どのように握って作業してもらうか、それともそれを決めつけなくてもいいのか、いわばユニバーサルなデザインにすべきか、議論と試行錯誤が繰り替えされました。このプロジェクトはコロナ禍の最中に進められたため、グループは佐賀県の現場に足を運んで職人さんの様子を見ることもできず、オンライン会議で話し合うしかなかったとか。
それでも試作グループは試作品を5種類くらい作成。アイデアとしては、ボールペンのようなノック式、暗いところでも使えるようなLEDライト付きなども出たそうです。最終的には握りやすいボールペンをヒントに細い部分が12mmほどのくびれが付いた、ペングリップでもそのまま握っても使えるようなカタチに落ち着きました。
「グリップのカラーは、YAMAHAらしく青を選んだんですね」と質問してみたものの、答えはそうではありませんでした。ペールブルーというくらいで、いわゆるポリバケツのほとんどが青色です。その理由は樹脂にとってブルーは劣化に強く、丈夫な材質なのです。
「グリップのカラーは材質から選んだらブルーになったんです」。長年使ってもらうグリップは青に決定しました。結果、ブルーボトルのブルーにも因んでるようになりました。
そして、そのグリップにはYAMAHAのロゴプレートが埋め込まれます。
●検査治具を検査する治具まで作製
ゲージの金属は比較的硬いステンレスでSUS630という材質が選ばれましたが、それでも検査を重ねるうちに摩耗は避けられません。摩耗したまま使用を続けると、不良品が出回り、ブルーボトルコーヒーの味が変わってしまいます。
ゲージ先端部分には、もうひとつの溝が掘られ、摩耗によってその溝が見えなくなってくると要交換の目安とすることができます。タイヤで言うスリップサインです。
そのスリップサインが薄れてきたら、本当に要交換なのかを確かめるため「検査治具のための検査治具」が作られました。
もし、「検査治具のための検査治具」による検査で「検査治具」がもう使えないと判断されたら、ステンレス部分だけを外して交換し、グリップはまた使うことができるようにしました。グリップは職人さんの手に馴染んだものを使うのがいいはずだ、という、ものづくりの会社ならではの発想です。リユースして長年使えることへも、グリップのカラーに青を選んだのがここでも効いてきます。
こうして生み出されたYAMAHA製検査治具は、有田の窯を出たドリッパーの全数を検査して、穴のサイズがクリアしたものだけが全世界へと届けられています。そうしてブルーボトルコーヒーの味は守られているのです。
●試作グループがメーカーのものづくりの原点
この企画に携わり、今回の取材に対応いただいたのは7名でしたが、この企画に深く関わったのは10名ほどの試作グループメンバーが、力や知恵を出し合い生まれた「作品」だそうです。ちなみに、試作グループは全体では総勢約150名ほどの所帯だとのこと。
その試作グループが生み出すもののほぼすべてが社外秘のもの。そして試作品は完成しても、世に出ることはありません。レース用部品は部分的にメディアに露出しても、多くのノウハウは隠されています。
余談ですが、二輪のレース中継を観ていて自社契約ライダーが転倒し、レースマシンが破損すると「あー、週明けにあの部品をまた作らなきゃ…」と思うこともあるそう。
そのように、きらびやかな発表会でお披露目されることも、ベストセラーとなって世界中で目にされることもない部品を作っているというのは、メーカーで働く人としては、あまり望まれない職場なのでは?と取材する前には危惧していました。
しかし、それはいい意味でまったくの相違でした。
実は、今回の取材ではもっともっと多くの製作に関わるお話、製法や素材の選択、紆余曲折やエピソードをお聞きしたのですが、濃すぎる内容でここでは書ききれていません。しかし、「これはどうしてこう決めたんですか?」「ここはどうやって加工しているんですか?」といった質問をぶつけるたびに、誰もが表情を明るくしていき、声のボリュームも大きくなりながら説明していただきました。その様子を見ていると、ほんとに楽しそうに仕事をしているんだというのがいやが上にも伝わってきました。
ものづくりとは、どうすれば使う人に喜んでもらえるものにできるかを自分で考えて作るもの。試作グループは常にそれまでにないものを自分たちで考えながら生み出していく現場です。すべてのヤマハ発動機の製品は、この試作グループが最初に作ったものを製品へと昇華させて世に出ていくわけです。
試作グループが、ヤマハ発動機製品のものづくりの原点とも言えるでしょう。
考えてみると、ヤマハ発動機はバイクにしても、船舶にしても、プールやゴルフカートなども、人間が食べて生きていくだけだったら必要ないものを作ってきました。原点である楽器メーカーのヤマハも含め、文化を支えるものを作り続けるのがYAMAHAなのでしょう。
取材を終えるころには、コーヒーの味を支える治具がなぜ彼らの手によって生み出されたのか、という当初の疑問はすっかり解消、ストンと腑に落ちました。ヤマハ発動機の試作グループがそれを創ったことは、なんら不思議なことでなく、むしろ必然だったようにすら思えてきました。
このようなヤマハ発動機の匠へのこだわりなどが深く紹介されているサイトは以下の通り。ぜひ一度御覧になってください。
■ヤマハ発動機 技と術
https://global.yamaha-motor.com/jp/design_technology/technology/
■ヤマハ発動機 クラフトマンシップ ヤマハの手
https://global.yamaha-motor.com/jp/design_technology/craftsmanship/
(文:クリッカー編集長 小林和久/写真:井上 誠)