アカデミー賞受賞映画『ドライブ・マイ・カー』のサーブ900が、原作の黄色ではなく真っ赤になった理由

■祝! アカデミー賞受賞。『ドライブ・マイ・カー』をクルマ目線で深読みしてみる

●クルマ映画が映画賞を席巻! 村上春樹原作の映画『ドライブ・マイ・カー』

カンヌ映画祭4冠、日本アカデミー賞の最優秀作品賞、さらにはアメリカのアカデミー賞では国際長編映画賞を受賞した『ドライブ・マイ・カー』。西島秀俊、三浦透子、岡田将生といった実力派キャストの演技も注目されましたが、タイトルの通りクルマに焦点が当てられた作品です。ここではクルマ目線でこの作品の魅力を考えていきたいと思います。映画を見たという人もこれから見る人も、さらに村上春樹の原作のファンという人もぜひ読んでみてください!

●3時間を超える傑作ロードムービーでは、サーブ900は真っ赤

では映画『ドライブ・マイ・カー』とはどんな作品なのか簡単にご紹介しましょう。まずは、今回栄誉あるアカデミー賞で国際長編映画賞を受賞した映画の方からあらすじを見ていきます。

映画「ドライブ・マイ・カー」予告編より
映画「ドライブ・マイ・カー」予告編より

俳優であり演出家の主人公・家福(西島秀俊)は、同じく演出家の妻、音(霧島れいか)と幸せに暮らしていました。しかしある日、家福は彼女の不倫現場を目撃してしまいます。その後、何かに思い詰め家福と話をしたいと言っていた音は急逝。心に大きな穴が開いた状態ながら、彼は演出家としての活動を続けます。

2年が経過し、家福は広島の演劇祭の演出という大役を任されます。愛車である赤いサーブ900で広島まで向かいますが、演劇祭のルールにより専属ドライバーを充てがわれることに。20代の若いドライバー、みさき(三浦透子)の腕は確かで、家福は次第に彼女に心を許していきます。その後、演劇祭のオーディションで、音と関係を持っていた高槻(岡田将生)が主役に決まり家福に近づくようになり…。

と、これ以上語るとネタバレになるのでガマンしておきましょう。

●村上春樹原作。渋く哀愁漂う小説版では、黄色いサーブ900

原作は村上春樹本人が『文藝春秋』に持ち込んだ小説です。『文藝春秋』ではほかにも短編が掲載され、2014年に『女のいない男たち』のなかの一作として刊行されました。表題の通りこの短編集は女のいない、あるいは女を失った男たちの物語が集められています。『ドライブ・マイ・カー』はこの短編集の最初に掲載された話で、1時間もあれば読めてしまうほどに短い小説です。こちらも妻を亡くした男、家福が主人公。

俳優の家福は、愛車である黄色いサーブ900コンバーティブル(注:原作で表現されるオープンカーの1種類。販売モデル名ではカブリオレでした)で事故を起こしてしまいます。そして、緑内障を患ったのと職業柄もありドライバーを雇うことに。家福は自宅から銀座の劇場に向かう間、自分の娘ほどの年齢であるドライバーのみさきと過ごし、少しずつお互いのことを話すようになります。そしてある時彼はみさきに、心につかえていたあらゆる想いを語り出します。死んだ妻が不倫をしていたという秘密、そして妻の不倫相手だった俳優、高槻と友人関係を持ったということを。みさきは静かにこの話を聞き、家福の言葉を静かに受け止めます。

●小説版と映画版で大きく異なる、それには監督の絶妙な「配合」があった

このように、映画と小説では舞台もストーリーも異なります。この作品で一躍時の人となった、映画版の濱口竜介監督は本作の脚本も手がけていますが、この脚本がまた実に見事でした。舞台を東京から広島に変え、みさきの悲惨な過去など気持ちを引き込むエピソードをプラス。原作の骨子を残しながらも、まったく新しい『ドライブ・マイ・カー』を築きあげたのです。

でも、クルマ好きからすると、一番気になった変化は小説と映画でクルマの色では? 同じサーブ900でも、黄色と赤ではだいぶ印象が違います。それに、オープンでなくサンルーフ付きの2ドアとなっています。これにはどんな意味があったのか、深読みしてみましょう。

●黄色いサーブは、輸入車ながらもやさしいイメージの象徴

サーブ900が登場したのは1978年。日本でも販売を開始されますが、広く一般に知られるようなクルマではありませんでした。それまでは、外車と言えばお金持ちの乗り物というイメージでしたが、バブルがその流れを変えます。「ちょっと人と違うクルマ持ってるよ」と言いたい人も増え、輸入車が一般的な存在になったのです。

その結果、日本でもメルセデス・ベンツやフォルクスワーゲンといったポピュラーな輸入車以外のブランドが次々に「発掘」されることとなりました。BMWに始まり、アウディ、ボルボなどが「ヤンエグ」や「お嬢様」にもてはやされるようになっていきます。その最後発のタイミングで人気を博したのがサーブでした。

サーブはスポーツカーでも高級車でもありません。航空機メーカーとして知られるスウェーデンのブランドで、むしろ知る人ぞ知るマニアックさがバブル末期の若者の心を刺激したわけです。スウェーデンのクルマというとボルボが有名ですが、ボルボ同様に堅牢なイメージを与えつつ、北欧製品らしいやさしい印象も持ち合わせたサーブは、自然と多くの人の心を掴んでいきます。モノに対してこだわりを持っているけど「オレがオレが」という主張のうるさい人ではなく、人当たりのよいやさしい人が乗っていそうなイメージがありました。

そして、その象徴が黄色いボディカラーだったのではないでしょうか。北欧では白夜の逆の昼間も暗い季節や、ホワイト・アウトしてしまう真っ白な世界があるため、原色系の目立つ色がポピュラーと言われますが、ご存知の通り日本でクルマの色と言えば白黒シルバーのモノトーンが基本。お隣さんと違うものをガレージに置きたい、でも目立ちたくない。そんな国民性があるのか黄色のサーブなら悪目立ちしなくて大丈夫、という雰囲気がありました。そして「あ、あの人は黄色いクルマに乗ってるけどいい人、サーブを分かってる人だからね」と見られるように。そう考えると、小説版の家福に実によく似合うクルマだったように思います。

以下は首都高で渋滞に巻き込まれた場面の一節です。

『数えきれないタイヤをつけた大型トレーラーの隣では、黄色いサーブ・コンバーティブルはいかにもはかないもののように見えた。まるでタンカーの隣に浮かんだ観光用小型ボートのようだ』。

この一文は、サーブ900が輸入車でありながらギラついた存在ではなかったことを如実に表しているのではないでしょうか。そこそこに名の通った俳優でも慎ましく静かに生きる職人気質の男、家福という男を印象づけます。しかも家福は12年もこのクルマに乗っており、走行距離は10万kmを超えています。主人公、家福を体現するクルマ、それが黄色いサーブだったのです。

●「バカにしないでよ!」と言える女性が乗る「真っ赤なポルシェ」

しかし、映画版ではこれが「赤」に変更されました。映像に映えるということから赤が採用されたようですが、これは舞台変更が大きく影響したのではないでしょうか。

当初は韓国で撮影される予定でしたがコロナ禍で叶わず、広島がロケ地に選ばれました。そして、美しい海を背景に赤いサーブが疾走することに。なるほど、これは「黄」のサーブでは見られなかった映像美。首都高の渋滞に巻き込まれる黄色いサーブでは、ここまで鮮烈な印象を与える映画にはならなかったでしょう。また、これもネタバレになるのであまり多くは語れませんが、映画の後半でサーブ900は広島以外の場所も走ることになります。これも画面映えする「赤」が選ばれた大きな要因と言えるでしょう。

実は赤もサーブのポピュラーなカラーでした。VOLVOも赤いボディカラーはおなじみですね。でも、日本では話が違います。まさに百恵ちゃんの『プレイバックPart2』で歌った「真っ赤なポルシェ」の世界。「バカにしないでよ!」と言える強い女性を連想させ、派手なボディ色といえば赤でした。なので、当時の日本でサーブを持とうと考える若者の多くが「絶対に黄色」がいいと思っていたはず。そして実際、黄色を選んだオーナーも多く小説版の家福も、このあたりにこだわりを持っていた一人のように思えます。

一方、映画版の家福は小説版よりも少し成功を収めた俳優のように描かれています。何せ広島の演劇祭を取り仕切る演出家という設定。映画でも、彼が名のある俳優であり、力のある演出家であることが強調されていました。なるほど、そうなると「赤」というセレクトも納得。そして、これは小説が映画と別物であることを伝えるための象徴だったのではないでしょうか。

日本だけでなく、世界にファンを持つ村上春樹の小説が原作ということもあり、濱口竜介監督の原作へのリスペクトの現れ、そしてハルキストにも納得いく作品を作るという意思表示だったのでしょう。確かに、美しい映像をつくりたいという技術的なセレクトでもあったでしょう。ただ、色の違うサーブを手に入れるパラレルワールドに生きる家福を描き、作品性をより深めたいという映画クリエイターの想いも強く感じられました。

それでも原作通り、やっぱり黄色がよかったな。そんな感想も生まれますが、赤いサーブ900が疾走する姿は美しく、世界中の映画ファンの心を掴みました。まだ見ていないという人は、ぜひ映画も原作もチェックしてみてください。あなたが選ぶのはどちらのサーブですか?

半澤 則吉

この記事の著者

半澤 則吉 近影

半澤 則吉

1983年福島県生まれ。お金、レシピ、収納といった日々の暮らしまつわる事柄を専門とするライター。町中華を巡る町中華探検隊、ドラマライターとしても活動する。会社員時代にスズキスイフト(2代目)に乗っていた以外車との関わりはなく、父がスバルの歴代の名車を乗り継ぎ、母がダイハツミラジーノを愛車としているため、輸入車とは縁のない人生を送ってきた。
が、一念発起しフランス車を購入。車のある人生にわくわく中。
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