節分とは?/ユンカースの創始者フーゴー・ユンカース生まれる/トヨタ初のレーシングプロト「トヨタ7」登場!【今日は何の日?2月3日】

■豆をまいて邪気を払う節分

2月3日は立春の前日にあたる節分です。節分は2月3日と決まっていると思っていましたが、実は立春が年によって前後するので、稀に2月2日や2月4日が節分になることがあるそうです。ちなみに昨年2021年は、なんと124年ぶりに2月2日が節分だったそうです。まったく気が付きませんでした。

さて、2月3日に生まれたのは、タレントの有田哲平、女優の土屋太鳳と橋本環奈、柔道家の大野将平、作家の檀一雄、航空機技術者のフーゴー・ユンカース、作曲家のメンデルスゾーンなどです。本日紹介するのは、ユンカースの創始者フーゴー・ユンカースです。

●エンジン・航空機メーカーのユンカースの創始者フーゴー・ユンカースが誕生

ユンカースの創始者フーゴー・ユンカース(C)Creative Commons
ユンカースの創始者フーゴー・ユンカース(C)Creative Commons

フーゴー・ユンカースは、1859年2月3日にドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州で生まれました。1878年からアーヘン大学で研究を始め、卒業後に2ストロークディーゼルなど、数々の優れたエンジンを開発し、また航空機の開発にも着手します。1923年にユンカース発動機を設立、1936年にはユンカース航空機&発動機製造会社となり、航空機用エンジンや自動車用2ストロークディーゼル、軍用機、旅客機などを精力的に製造しました。また、ルフトハンザの前身にあたるユンカース空輸会社も設立し、航空事業にも参入。日本でヒットしたアニメ映画「風立ちぬ」で、主人公の堀越二郎らがドイツを訪問した際に、飛行機を見学させてくれた人物としてユンカース博士が登場しています。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●トヨタ初のレーシングカー「トヨタ7」が鈴鹿で試走!

1968(昭和43)年2月3日、トヨタが日本グランプリに参戦するために開発した「トヨタ7」が、鈴鹿サーキットにその姿を現し、試走を行いました。トヨタ7は、FIAが定めたグループ7規定に基づいたオープン2シーターのプロトタイプレーシングカー。1966年の第3回日本グランプリにおいて「2000GT」で惨敗したトヨタが、純レーシングカーとして開発に着手したのです。

排気量を3.0Lから5.0Lに拡大した第二世代トヨタ7(C)Creative Commons
排気量を3.0Lから5.0Lに拡大した第二世代トヨタ7(C)Creative Commons
トヨタ7ターボ。レースデビューは叶わなかったが、800PSを発揮するモンスターマシン(C)Creative Commons
トヨタ7ターボ。レースデビューは叶わなかったが、800PSを発揮するモンスターマシン(C)Creative Commons

トヨタ7の開発は、トヨタの開発工数が足りないことからヤマハ主導で行われました。ツインチューブ式アルミ製モノコックボディにミッドシップ搭載するエンジンは、トヨタ2000GTの2.0L直6エンジン。本命の3.0L V型8気筒エンジンが、間に合わなかったのです。

3月にやっとV8エンジンが完成して、5月3日の第5回日本グランプリでレースデビュー。クラス優勝は飾りましたが、排気量5.5Lの日産の「R381」には歯が立ちませんでした。そのため翌1969年に排気量を5.0Lに拡大して数々の耐久レースなどで活躍、さらに1970年には、最高出力800PSをたたき出す5.0L V8ツインターボエンジンを搭載しました。

800PSを発揮した5.0L V8 ツインターボエンジン(C)Creative Commons
800PSを発揮した5.0L V8 ツインターボエンジン(C)Creative Commons

ところが、1970年の日本グランプリが急遽中止となったため、トヨタはトヨタ7の開発を中止。800PSのモンスターマシンのデビューは、幻に終わりました。残念というほかありません!

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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