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■日本初や軽初の技術によって軽自動車を牽引
三菱自動車の軽自動車は、1961(昭和36)年の軽商用車「三菱360」、1962年の軽乗用車「ミニカ」で始まりました。正確には、三菱自動車が三菱重工から分離独立するのは1970(昭和45)年なので、当時は新三菱重工でした。
1960年代は、日本のモータリゼーションの黎明期、比較的低価格で入手できる軽自動車の「スバル360」や「ホンダN360」が大人気となり、軽自動車時代が幕開けた時代でもありました。
当然のように、三菱もミニカで軽自動車市場に参入し、以降60年間にわたり、数々の軽自動車を投入してきました。
その歴史を振り返ってみると、日本初や軽初といった革新的な技術や斬新なモデルが多いことに驚かされます。
●軽自動車を牽引してきた数々の革新的な技術とモデル
クルマは、社会的な要求と市場の要求に応えることで進化してきました。軽自動車についても、数回にわたる規格変更や1970年代中盤のオイルショック、排ガス規制対応、1980年代は高性能化、1990年代は衝突安全強化、そして2000年以降には低燃費化、電動化、安全支援技術などが求められてきました。
そのような長い歴史の中でも、特に印象に残っている三菱の技術とモデルについて振り返ってみましょう。
●スタイリッシュさと性能が際立った「ミニカスキッパーGT」(1971年)
最高出力38PSを発揮する水冷2ストローク2気筒エンジンを搭載したファストバッククーペ「ミニカスキッパーGT」は、当時最強を誇り、多くの若者の心を掴みました。名車「ギャランGTO」を彷彿させるようなスタイルは、今見ても新鮮ですね。
●排ガス対応のための新しい燃焼方式(1978年)
1970年代は世界的に排ガス規制が強化された時代、「ミニカアミ」にMCA-JETエンジンを搭載。少量の燃料を供給する小さなJET弁を追加した独自の燃焼方式は、ホンダのCVCCエンジンに対抗する形で開発されました。
●高出力競争で誕生した軽初のターボエンジン搭載「ダンガン」(1989年)
国内初の3気筒5バルブDOHCのインタークーラー付ターボエンジンは、最高出力の自主規制値64PSを発生。軽のターボ化も凄いが、小さなボア(62.3mm)に合計5個のバルブ(吸気弁x3、排気弁x2)と点火プラグを配置した燃焼室は驚きですね。ミニカ「ダンガン」は、まさに弾丸のごとく、飛ぶように走ったのを記憶しています。
●ハイトワゴンの元祖「ミニカトッポ」(1990年)
ベースのミニカに対して全高を230mmも高くして、頭上の空間を広げたハイトワゴンの元祖。愛嬌のあるスタイルで主婦層の人気を集めましたが、残念ながらハイトワゴンブームを牽引したのは、その後登場したスズキの「ワゴンR」でした。もう一工夫あれば、主導権を握ることができたのですが……。
●パジェロの血統を踏襲した本格4WDの「パジェロミニ」(1994年)
軽ながら本格4WDによる高いオフロード性能で人気を獲得。同じように本格4WDを装備したスズキ「ジムニー」よりも都会的なイメージが定着していただけに、生産を終了したのは残念の一言です。
●革新的なリアミッドシップの「アイ(i)」(2006年)
近未来的なデザインとリアミッドシップレイアウトで大きな注目を集めました。居住性と衝突安全性に加えて、前後重量配分の最適化によって走行性能と操縦安定性も高めています。今でも街で見かけますが、斬新なデザインは15年も前のクルマにはとても見えないですね。
●電動化時代の先駆け、世界初の量産電気自動車「i-MiEV」(2009年)
「アイ」のミッドシップレイアウトをベースに、エンジンの代わりにモーターを搭載した電気自動車。世の中に、実用的な軽のEVを形として示したインパクトは絶大でした。世界中で電動化が叫ばれる中、2022年に発売予定のEVは、どんな姿で登場するのか、非常に楽しみです。
三菱自動車の軽自動車の歴史を振り返ってみると、そのクルマづくりは独創的でチャレンジングであることが分かります。先を行き過ぎて商業的には上手くいかなかったモデルもありますが、それはそれで将来の布石になっているはずです。
今後も、革新的な技術を追求しながら、ユニークで独創的なクルマづくりにチャレンジしてほしいものです。
(Mr.ソラン)