伊能忠敬の地図完成/政治を考える日/日産がブルーバード・シルフィ発表!【今日は何の日?7月27日】

■伊能忠敬の大日本沿海輿地全図が完成

伊能忠敬像
伊能忠敬像

1821(文政4)年7月27日、伊能忠敬の死後も弟子たちによって作成が続けられていた日本地図「大日本沿海輿地全図」が完成し、この日、江戸城の大広間で披露されました。伊能忠敬らは、1800年に蝦夷地(北海道)の測量に始まり、17年かけて全国の測量を実施。その誤差は、距離が1/300、方位角度は0.3°と、当時測量技術に長けていた欧州の専門家も舌を巻くほどの驚異的な精度でした。

問題となったロッキード社のトライスター(C)Creative Commons
問題となったロッキード社のトライスター(C)Creative Commons

また今日は、「政治を考える日」です。1976(昭和51)年のこの日、ロッキード事件で当時の田中角栄前首相が逮捕されたことにちなみます。ロッキード事件は、米国ロッキード社のジェット旅客機・トライスターの売り込みの際に、田中角栄ら政界関係者が多額の賄賂を受け取ったという事件です。日本中を揺るがした大事件でしたが、その後も政治家の汚職事件はあとを絶たず、現在も大小様々な疑惑が取沙汰されています。政治と政治家への不信を払拭するような政治家現れないですかね。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●日産が新型セダンのブルーバード・シルフィを発表

2000(平成12)年のこの日、日産は新型モデル「ブルーバード・シルフィ」を発表、発売は翌月から始まりました。当初はブルーバードと併売され、ブルーバード・シルフィはサニーをベースにしたコンパクトな上級セダンとして位置付けられました。2001年にブルーバードが生産を終了したので、ブルーバード・シルフィが実質的なブルーバードの後継車となりました。

2000年発売のブルーバード・シルフィ
2000年発売のブルーバード・シルフィ
2000年発売のブルーバード・シルフィ(Rear View)
2000年発売のブルーバード・シルフィ(Rear View)

ブルーバード・シルフィは、コンパクトなボディに落ち着いたフォルムの典型的なノッチバックセダンでした。搭載エンジンは、1.5Lと1.8L、2.0LのDOHCエンジンの3種、1.8Lモデルについては米国のSLEV(極超低排出ガス車)に認定されており、排ガスと燃費の両面で優れたモデルでした。トランスミッションは、ハイパーCVTと電子制御4速AT、5速MTの3種、駆動方式は2WDと4WDが用意されました。

環境性能に優れ、静かで使いやすいクルマでしたが、サニーベースの室内空間の狭さが不評であったため、2005年のフルモデルチェンジでホイールベースを伸ばして車室空間を広げ、2012年にはブルーバードの冠が外されて車名がシルフィとなりました。

2000年発売のブルーバード・シルフィ(Interior)
2000年発売のブルーバード・シルフィ(Interior)

当時はすでにセダンは冬の時代であり、地味なデビューであったブルーバード・シルフィの国内販売は低迷。その一方で海外市場は比較的好評で、特に中国では日本車の中で最も売れるモデルでした。結果として、2019年の新型シルフィはまず中国市場へ投入、一方で日本投入は見送られて2020年に販売終了となりました。

残念ですが、ダットサン→ブルーバード→ブルーバード・シルフィ→シルフィという長く続いた名車の流れが、またひとつ途絶えてしまいました。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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