■6月に決勝を迎えるパイクスピークが、99回目の参戦リストを発表!
2度の世界大戦での開催中断があったため、1916年に行われた最初の大会から106年目となりますが、今回99回目となるパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム(通称:パイクスピーク)の暫定エントリーリストが現地時間2月1日(月)に発表されました。
パイクスピークは、アメリカ・コロラド州パイクスピークという山の登山道路パイクスピーク・ハイウェイで開催されるイベントです。
中腹の標高2862mにあるスタート地点から、標高4301mの山頂のゴール地点まで、全長約20km、156のコーナーを持つコースが競技区間となります。そのコースを誰が一番速く走り切るか、1台ずつタイムアタックして競う単純明快なレースですが、酸素が薄くなる高山での走行のため、頂上付近ではエンジンの出力が30%近くダウンするといわれています。
初開催となったのは1916年、日本が大正5年のことです。その2年前に初めて開催されたインディ500(インディアナポリス500マイルレース)に次ぐ、世界で2番目に歴史のあるレースとなります。
このコースとなるパイクスピーク・ハイウェイは、普段は観光有料道路として営業されていますが、この歴史ある決勝レースの時だけは完全閉鎖となり、一般車は締め出されます。決勝日以外のレースウィーク中は練習走行はできますが、営業時間前の限られた時間に、部分的な練習ができるだけ。スタートからゴールまでを通して走行ができるのは決勝日の決勝レース1本のみとなります。
記念すべき100回記念大会を前に、第99回大会は、今年も例年通り2021年6月27日(日)に決勝を迎えるスケジュールとなっています。
発表されたエントリーリストには76台(その後エントリーリストに改訂が加えられ現時点では75台となっています)が並びました。ちなみに、これまでは2輪、4輪ともに参戦ができましたが、近年死亡事故が相次いだため、昨2020年から2輪部門は開催を見合わせています。
昨年の第98回大会に、日本から参戦したのは小林昭雄選手(2000年式ポルシェ911 GT3・11分52秒010/総合35位 Pikes Peak Openクラス6位)のみでした。日本人としては、他にカリフォルニア州セリトス在住のドリフトレーサー、吉原大二郎選手が参戦。トヨタ86を駆り10分05秒006のタイムで、参戦2年目にしてディビジョン優勝(アンリミテッドクラス)となる総合9位を獲得しています。
近年継続参戦をしていたトップラリーストの奴田原文雄選手は、昨年もエントリーはしていたもののCOVID-19の影響を鑑み、チームが参戦を断念していました。
そして今年のリストには、その奴田原選手、そして吉原選手の名前が並びました。
昨年は、GLMのトミーカイラZZをベースにその市販車2台分のバッテリーを搭載した特別な一台を製作して挑戦する予定で準備を進めていた奴田原選手は、今回の参戦も車両は昨年同様GLMのトミーカイラZZがベースとなるようです。
ただ、奴田原選手を起用してのチャレンジを続けているこのSAMURAI SPEEDチームは、今年のパイクスピークへの参戦について、昨年のトミーカイラZZの車両製作を経験したうえで、新たなユニットを搭載することに決めたということです。同チームが2019年のパイクスピーク参戦で使用したリーフe+(イープラス)のものを流用していく可能性を示唆しています。
昨年参戦予定だったトミーカイラZZも、セルロースナノファイバー製のボディカウルを製作するなど、サスティナブルなイメージを持っていますが、今回はそれをさらに進化させ、自然由来素材のさまざまなボディパーツの活用を見込んでいるということです。
車両は鋭意製作中で、今後国内でのテストを行って、5月にはアメリカに向けて車両を輸送する予定だということです。
吉原選手は、2018年式のテスラModel 3でエキシビションクラスに参戦することとなったようです。
●歴代タイムをみると、意外な日本人がトップ10入り
パイクスピークといえばダート路面のイメージが強いですが、徐々に舗装されてきて、2012年にコースの全面が舗装されました。
この完全舗装によって、これまでのようなダート走行を意識しなくてよくなり、マシンの車高は落ちていきますし、タイヤもオフロードからオンロード、さらにはサーキットスペックのものへと進化し、そのタイムは大きく削られることとなりました。
ただ、舗装路面となりましたが、路面はダスティですし、冬の厳しい冷え込みによって特に頂上付近の舗装は年々うねりがひどくなる状況ではあります。
コース全域がダートだった1916年の最初の大会のトップタイムは20分55秒600でした。昨年のコース完走者のうち最遅タイムでも13分台ですから、今このタイムで走行したら大迷惑ですね。
最初の大会こそこのタイムでしたが、もちろん競技ですから回を重ねることに記録は破られていきます。初めて12分の壁を破ったのは、このパイクスピークで何度も総合優勝を重ねていたボビー・アンサー選手です。これが1968年のことでした。
パイクスピークのコース自体の変化もあり、そこからタイムはさらに削られていくことになります。そして2011年、誰も破れないと言われていた10分の壁を初めてブレイクしたのが、このパイクスピークでもっとも有名な日本人である、モンスター田嶋こと田嶋伸博選手でした。まだダートが25%ほど残っている時代のことです。
ちなみにその翌年、この田嶋選手の前人未到の7連覇が掛かった年にコースは完全舗装化されましたが、田嶋選手のこの2012年の結果はマシントラブルによるリタイヤ、でした。
記念すべき100回記念大会を前にした今年の大会ですが、現時点でのエントリーリストを見る限り、大きな記録更新はみられそうにないですね。
ということで、ここで一度、歴代で最も速いパイクスピークマシンはなにか? 最速トップ10を並べてみることにしたいと思います。
歴代最速は、ル・マン24時間レースなどでも活躍しているロマン・デュマ選手が2018年にフォルクスワーゲンの電気自動車I.D.Rで出した7分57秒148です。ドライバー込みの車両重量は1100㎏以下、4輪駆動ですが、システム出力は680ps、最大トルクは650Nmとなります。この車両はさらに進化してニュルブルクリンクの最速記録樹立やグッドウッドフェスティバルにも参戦し、けっこう話題になりましたね。
続く歴代2位の記録も、それまでの記録を1分半以上上回ったということで話題になりました。WRCなどで活躍したセバスチャン・ローブ選手が駆るプジョー208T16です。
3.2リッターV6ツインターボエンジンをミッドマウントし4輪で駆動するこのマシン、最高出力は875PSで、車両重量はなんと875kgと、パワーウエイトレシオは1:1を実現したものでした。ちなみにこの2台は一回きりの参戦でした。
歴代3位のタイムはイタリア人ドライバーで、ヨーロッパのヒルクライム選手権を制しているシモーネ・ファッジオーリ選手の8分37秒というタイムが入りました。しかし、前述のVWの記録が偉大すぎて、ほぼフォーカスされることなく終わってしまったのが残念なところです。
歴代4位には、デュマ選手が再び入ります。2016年にガソリンエンジンで出した8分51秒のタイムです。ファッジオーリ選手と同じくNormaのシャシーを使用した車両でのアタックでした。続く5位はこの同じ年にガチンコのライバル対決となったラトビア共和国にあるDRIVEeOの電気自動車でミレン選手が出した8分57秒でした。
さらに歴代10位まで追っていくと、ようやくですが、第9位に日本人が登場します。パイクスピーク最速日本人といえばもちろん田嶋伸博選手、 と思いきや、実は違うんです。
ここに名を連ねるのが、山野哲也選手です。山野選手の記録もなかなかのもので、この記録も同年のデュマvsミレンの対決に霞んでしまっていますが、記録としては大変な記録なのです。
ちなみにこのトップ10に入っている日本メーカー(エンジンの提供も含め)はホンダのみ、ということもお伝えしておきます。
歴代1位 2018年 Volkswagen I.D. R ロマン・デュマ 7分57秒148
歴代2位 2013年 Peugeot 208 T16 セバスチャン・ローブ 8分13秒878
歴代3位 2018年 Norma M20 シモーネ・ファッジオーリ 8分37秒230
歴代4位 2016年 Norma M20 ロマン・デュマ 8分51秒445
歴代5位 2016年 Drive eO リース・ミレン 8分57秒118
歴代6位 2013年 HYUNDAI RMR リース・ミレン 9分02秒192
歴代7位 2017年 Norma MXX ロマン・デュマ 9分05秒672
歴代8位 2014年 Norma Prototype ロマン・デュマ 9分05秒801
歴代9位 2016年 Acura NSX EV concept 山野哲也 9分06秒015
歴代10位 2015年 Drive eO リース・ミレン 9分07秒222
ちょっと前まで、10分を切ることだって大変だったこのパイクスピークですが、歴代トップ10台のタイムはいずれも9分7秒以下という驚異的なタイムとなっています。もちろん全面舗装になってからのタイムばかりです。
その中でもデュマ選手が4度、ミレン選手が3度と、この2名が歴代記録を分け合う形となっています。残念ながら第99回大会にこのトップ10に入っているドライバーは現時点で一人もいないのですが、今年の大会の様子もウォッチしていきたいと思います。
(青山 義明)