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■V12気筒のF1マシンと6気筒の2輪レーサーが揃いぶみ
ホンダの歴史と切っても切れない関係が「レース」です。特に1964年から参戦し始めた世界最高峰の4輪レースF1グランプリ、そして1959年に初参戦した2輪レースの頂点WGP(現Moto GP)では、並み居る海外の強豪マシンを抑えて大活躍し、一躍ホンダの名前を世界に轟かせました。
そんなかつての伝説的レーシングマシンのうち、1967年にF1で優勝したRA300と、1966年のWGPで大活躍したマシンRC166が、カーイベントの「オートモビルカウンシル2020」(7月31日〜8月2日・幕張メッセ)のホンダ・ブースで披露されました。
タイプRなど、今の市販車にも受け継がれているホンダ・スピリットの原点たちを紹介しましょう。
●F1デビュー戦でいきなり優勝!
まずは1967年のF1マシン、RA300から。
ホンダは1964年よりF1に参戦しましたが、1966年にレギュレーションが変更され、それまでの1.5Lエンジンから新開発の3.0Lエンジンに切り替えて搭載、いきなりデビューウインを飾った栄光のマシンです。
1967年シーズンのホンダは、開発の遅れなどから1966年シーズンと同じマシンRA273で参戦しましたが、エンジンのパワーはあるものの、車体が重すぎてなかなか結果を出せませんでした。
そんな状況下で、ある決断が下されます。イギリスのレーシングカー製作企業のローラ社と共同開発した新型マシンをわずか6週間で製作、シーズン途中にもかかわらずイタリアGPに投入したのです。そして、そのマシンがこのRA300です。
3.0LのV型12気筒エンジンが、存在感を一際主張するRA300のフォルム。今のF1マシンのように空力用のウイングなどは付いていませんが、逆にそのシンプルさが個性的な機能美を生み出しているように感じられます。
驚いたのは、フロントサスペンションのアーム類、給油口など各部にメッキ処理が施されていること。もちろん、レストアの際に再処理されたものでしょうが、おそらく当時も同じ仕様だったと思われます。
その美しさは、けっして速さだけを追求したレーシングマシンではないという、作り手のこだわりや魂がひしひしと伝わってきます。
ちなみに、1967年のデビュー戦でRA300は、レジェンドドライバーのジョン・サーティースがハンドルを握り、最終ラップの最終コーナーで初のトップに立ち、そのまま0.2秒差という格差で優勝を遂げます。
当時のホンダは、F1で1965年の初優勝に続く2勝目をようやく挙げたばかり。この劇的な勝利が、後の大活躍に続く試金石となったのです。
●250cc・6気筒の「精密機械」のようなバイク
一方、2輪レーサーのRC166。こちらは、2輪メーカーでもあるホンダが、F1に先駆けて1959年から参戦した2輪レースの最高峰WGPにおいて、250ccクラスで連勝を遂げたマシンです。
1966年シーズン途中から投入されたこのマシンで注目なのは、4ストローク6気筒エンジン。250ccという小排気量では驚くべき多気筒エンジンです。
当時のWGPは、軽量でハイパワーが出せる2ストロークエンジンが主流になろうとしていた時代でした。一方で、4ストロークにこだわったホンダは、多気筒化と超高回転型のエンジンでそれらに対応したのです。
多気筒化をするということは、2気筒や4気筒のエンジンと比べ、単純に一気筒当たりの排気量は小さくなり、おのずと部品類も小型化する必要があります。しかもパワーを出すには高回転型にする必要もあり、バルブ類などが正確な動きをする必要があります。
そういった問題をクリアしたこのホンダ6気筒マシンは、1万8000回転という超高回転で最高出力60psを発揮するという当時の250ccマシンとしてはかなりのハイパワーを発揮します。
そして、1966年シーズンの第10戦と第11戦に投入され見事連勝を飾り、その速さだけでなく、高い信頼性も証明。「精密機械のようなエンジン」と呼ばれ、一躍話題となったのです。
ホンダは、その後もWGPで数々の勝利を収め、2002年より名称がMotoGPとなった現在でも多くのメーカータイトルやシリーズチャンピオンなどを獲得。2015年には通算700勝も達成するなどにより、2輪トップメーカーのひとつになっていったのです。
なお、会場にはほかにも、これらレーシングマシンの血統を引き継いだ、現行のシビック タイプRのマイナーチェンジモデルも展示されていました。コロナ禍の影響で発売が延期されていた注目の新型ですが、当イベント初日の7月31日に2020年10月発売予定がアナウンスされ、多くのファンが注目を寄せていました。
(文/写真:平塚直樹)