ロータリー復活の象徴となったコスモAPとサバンナRX-7【マツダ100年史・第19回・第5章 その4】

【第19回・2020年7月19日公開】

排ガス規制や、1973(昭和48)年のオイルショックは、ロータリーエンジンの快進撃に急ブレーキをかけましたが、「フェニックス計画」のもと、技術陣の総力を挙げた改良によって目標を達成しました。
その象徴的なモデルが「コスモAP」と「サバンナRX-7」です。
「コスモAP」は赤いボディ色と個性的なスタイリングが人気を呼び、「サバンナRX-7」は圧倒的な動力性能を発揮した低いロングノーズとリトラクタブルヘッドランプが特徴的なスポーツカーです。

第5章 排ガス規制とオイルショック(ロータリーの歴史2)

その4.ロータリー復活の象徴となったコスモAPとサバンナRX-7

●ラグジュアリースポーツに変貌した赤い「コスモAP」

1972(昭和47)の初代コスモスポーツ終了から3年、再び姿を見せたのが1975(昭和50)年の「コスモAP」です。
「AP」は「Anti Pollution:抗大気汚染」を表し、搭載エンジンは135PSの 2ローター13B型と、125PSの12A型ロータリーエンジンです。この新世代ロータリーには、フェニックス計画によって燃費を40%改良するさまざまな技術が盛り込まれました。
車両キャラクターを見ますと、初代のコスモスポーツから一転、2ドアピラード・ハードトップの鮮やかな赤のボディに縦ラインの特徴的なラジエーターグリルなど、ラグジュアリーなスポーツモデルに大変貌しました。
当時高級車は黒かグレー系、または白が定番でしたが、高級車でありながら「サンライズレッド」と呼ばれた鮮やかな赤をボディのイメージカラーにして、大きな話題になりました。
半年足らずで2万台以上販売し、1976(昭和51)年にモーターファン誌主催のカーオブザイヤーを受賞するなど、低迷する国内販売の救世主となりました。月4000台以上の販売を長期間継続し、生産終了まで14万台以上の販売を記録しました。

マツダ コスモAP(1975(昭和50)年10月)。
マツダ コスモAP(1975(昭和50)年10月)。特徴的な縦桟グリルを持つ、ラグジュアリークーペに生まれ変わった。
マツダ コスモAP(1975(昭和50)年10月)。
リヤランプのL字型もこのクルマだけの特徴点。

●ロータリーの集大成「サバンナRX-7」

1970年代は燃費の良いクルマが売れる時代となり、動力性能を売りにするスポーツモデルの出番はありませんでした。
このような中、1978(昭和53)年に本格的ロータリースポーツの「サバンナRX-7」がデビューしました。
エアロダイナミクスを感じさせる低いロングノーズの2ドアクーペボディに加え、国産車初のリトラクタブル(収納式)ヘッドランプやガラスハッチなどを採用したスポーツスペシャリティカーでした。
エンジンは130PSの2ローター12A型で、コスモAP同様、フェニックス計画の燃費改良技術が盛り込まれました。また、エンジンはフロントミッド搭載で、スポーツモデルらしい機敏なコーナリング特性を実現しました。
斬新なスタイリングのみならず、当時の排ガス対応で出力が伸び悩んでいた他車を圧倒する動力性能を備えていました。パワーはもちろん、加速性やレスポンスなど、ロータリーエンジンの特徴を存分に生かし、多くのファンを魅了しました。
また、燃費の悪さで評価を落とした米国市場でも大成功を収め、ロータリーエンジン車の復活を果たしました。

マツダ サバンナRX-7(1978(昭和53)年3月)。
マツダ サバンナRX-7(1978(昭和53)年3月)。
マツダ サバンナRX-7(1978(昭和53)年3月)。
リヤガラスがは3分割になっており、ハッチとして開くのは中央のみ。開発陣は、本当はサイドまでまわり込む一体式にしてラウンドガラスの開閉にしたかったようだが、この時代はまだガラス成型の技術がそこまで追いついていなかった。
12A型エンジン。
サバンナRX-7に積まれた12A型エンジン。

●ロータリーエンジンのさらなる進化

1970年代に入って低迷したロータリーエンジンですが、サーマルリアクターによる排ガス低減やガスシール性の改善といった各種の低燃費技術によって、排ガスと燃費の両立を実現してきました。
さらに厳しい排ガス規制や低燃費性が要求されることを想定し、その後もロータリーエンジンの改良が続けられました。
代表例としては、触媒を組み合わせた希薄燃焼型ロータリーエンジンや、負荷に応じてポートタイミングを変化させる可変ポート機構などです。

(Mr.ソラン)

第20回につづく。


【関連記事】

第5章・排ガス規制とオイルショック(ロータリーの歴史2)

その1.北米進出とサーマルリアクター【2020年7月16日公開】
その2.マスキー法から始まった排ガス規制とオイルショック【2020年7月17日公開】
その3.フェニックス計画による燃費改良【2020年7月18日公開】

この記事の著者

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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