383km/hにDai大興奮! ボンネビル世界最高速大会はスケールがデカ過ぎるゼィ【OPTION 1986年11月号より】

■レーシングビートRX-7、383km/hの新記録樹立!

●1986年8月…ってことは34年前、この時代に380km/hオーバー!? スゲ~

約3ヵ月前、2020年4月末にclicccar【Play Back The OPTION】で紹介した、1986年アメリカ・ユタ州ソルトレイクシティのボンネビル最高速大会へ挑戦するレーシングビートFC3S・RX-7記事を思い出してみましょう!

・アメリカ最高速の聖地・ボンネビルに挑戦するレーシングビートRX-7【OPTION 1986年9月号より】

・ボンネビルへ向けてのシェイクダウンでレーシングビートRX-7が371km/hを記録!【OPTION 1986年10月号より】

今回は、そのボンネビル挑戦の本番をお伝えした記事を紹介です。

…多分、OPTION初ボンネビル取材だった…のかな? レポートは稲田Dai大二郎、同行したのはRE雨宮の雨さんこと雨宮勇美さん。

夏にな~ると思い出す~…真夏のボンネビル祭り。今年2020年、OPTではDai稲田ドライブでのGRスープラ・ボンネビル最高速挑戦を企画していました。

が、3月の時点でコロナウイルス蔓延により大会は中止の方向へと動いていたため、挑戦は1年延期…という残念なことに(涙)。でも、も~これはしょうがない。来年への思いを馳せ、34年前のボンネで熱くなりましょう!

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■世界最高速大会 ボンネビル スピードウィーク大特集

●これが国際公認の最高速だ

やっぱりスゲーとこだ。ソルトレイクシティにある乾塩湖ボンネビル。比べようはないけど谷田部とは全然違う。圧倒されるような広さなのだ。ここで地上絶対速度記録が生まれる。そして、レーシングビート社のサバンナRX-7(FC3S)も新しい神話を作った。

1986年11月号ボンネビル挑戦
ボンネビル世界最高速大会へ挑戦するレーシングビートRX-7。ステージは広大な塩湖です!

●Daiのびっくりドキュメント

ロスからクルマで約10時間。ボンネビルはユタ州とネバダ州の州境にあった。塩の湖というくらいだからホントにスキー場みたいに真っ白なのだ。

しかし、40度近い焼けつくような灼熱地獄でもある。

17日、前日の車検を終えたレーシングビートRX-7は、その塩の中にいた。コースと言っても参加者がテントを張りパドックを作って、その側にスタートラインと遥かな2車線の走行エリアを特定するだけだ。

で、肝心の路面はほぼアスファルトくらいのグリップ力があるのにビックリ。天然の力ってのは摩訶不思議だ。

レーシングビートRX-7
左:美しいエンジンルーム。500psの13B+日立ツインターボの本番仕様が製作段階と違うのは、インテークパイプに付いていたエアクリーナーが外されていることくらい。
右上:整然としたコクピットレイアウトも変更なし。メーター類の多さには改めて目を見張る、これだけのメーターチェックもコースが広いから確認できるのかな。
右下の2枚:Fのグッドイヤー製ソルトフラッツ・スペシャルタイヤはこんなに細い。と、R&Bスペシャルのリヤサス部。パラシュートを使うのでリヤブレーキは無い。

このボンネビルスピードウィークというのは毎年開催されるのだが、日本じゃどんなレースなのか全然分からない。しかし、集まったのはバイクも含め250台くらい。それぞれが各クラスに分かれて新記録を狙うわけ。そのマシンの種類が面白いのだ。

しかし、本命はC/GTクラスのR&B(レーシングビート)セブンだ。純白のボディに赤と青のストライプが入り、外観はノーマルなのにメチャクチャ、カッコイイ。なにしろ塩にくっつきそうに低いからだろう。

DONとDai
栄光の200マイル男になったドン・シャーマンと『なりたい』男のDai。

「まずドライバーのドン(米カー&ドライバー誌の編集長)がこのクルマに初めて乗るのと、ライセンスクリアのためクオリファイの前に徐々にスピードトライします。そして最後に、これまでの記録201.213マイルオーバーで明日の正式記録に挑戦する予定です」。

R&B社のMr.奥がこう言う。セブンの仕上がりは完全だ。500ps以上を誇る13Bツインターボは予備に3台用意されている。Mr.奥の相棒チーフエンジニアのジムは黙々と各部をチェックしている。

そしてこの日のクオリファイは予定通り229.032マイル、368km/hで無事クリアしたのだ。ブースト0.8kg/cm²、エンジン回転は7700rpm。

ボンネビルの前、オハイオのテストコースで371km/hをマークしていたので安心はしていたが、さすが。明日の午前の記録が楽しみだ。

ワイズマン製5速
ボンネビルスペシャル・ミッションのワイズマン製5速。フライホイール破損時のために鉄ベルトが巻いてある。これ、日本の最高速仕様にも義務付けるぞ。

●正式記録に挑戦…が!

夜が明けて18日。すでに8時にはスタートラインについていた。同じように正式記録にアタックするマシンが次から次にトラックに押されてスタートしていく(セルモーターが無いためとギヤ比が恐ろしく高いため)。

ベッベッベ。セブンの甲高い音がし出した。R&B社のスタッフがセブンを押していく。1速から2速へシフトアップ。しかし、どうも変だ。昨日よりリヤがスライドしているのだ。

そしてロータリーサウンドが消えた直後、塩煙が遥か彼方で舞い上がった。しばらくして「ノーターム、スパンド」というアナウンスの声が聞こえてきた。

レーシングビートRX-7
ブレーキはパラシュート。

トラックに引かれてパドックに戻ったセブン。ドライバーのドンは何気ない顔をしている。おそらく4速から5速に入ったくらいだから300km/hは出ていたはずなのに。話を聞くと、スピンしそうになったのでパラシュートでスピードを殺したらしい。「谷田部だったら…」と思うとゾクッとする。

どうも天候が曇っているためか、コースコンディションが前日よりウェットみたいだ。かといってダウンフォースアップはできない。このGTクラスはスポイラーも純正品しか使えない。リヤにウエイトを積むしかない。

「明日の朝イチからエンジンを積みかえて、また次の午前からやり直しです。そういえば以前、Eクラスのレコード作ったときも1発目はエンジンがイッったな~。ここは標高が高いから燃料のセッティングが決まらないですよ」とMr.奥がつぶやく。

メカニックのジム
エンジン載せ換え中のジム(中央)。これくらいの道具は必需品だ。それにしても暑いぜ!

●正式記録に再挑戦! 出たぞ383.724km/h!!  最速区間392km/h!!!

で、20日。当然、エンジン積み換えは何事もなく終了していた。「今日こそ出るか」、ただ見ているだけのコッチも気合が入るぜ。

まるでドライブに行くかのようにゆっくり走り去るセブン。視界から消えて数分後、待望のアナウンスが入った。

人が押してスタート
セブンはスタート時は人が押していくのだ。他はトラックで押しがけする。

「211…、230…、232…」高速区間は232マイル、371km/hだ。「よし、これで一応、新記録だぞ」。しかし、正式記録は1マイルずつ3マイルの計測区間を往復しなければならない。風の影響を考慮するからだ。復路は往路のスタート地点辺りがゴール地点になるから、関係者はパドック辺りで待つしかない。

「あっ、帰ってきたぞ!」と誰かが叫んだ。同時に「やった、やった!」という声が。

復路は229.496、240.517、そして244.132マイルをマークしたのだ。正式記録は238.442マイル、実に383.724km/hだ。そして最速区間は392km/hに達した。もう400km/hは目前だ。

もちろん、そのトライもちゃんと考えてあった。エンジンはそのままで、クラスをMSという改造クラスにすると空力ボディOKなのだ。つまりもっと効果のあるスポイラー類を使用できる。が、この日の午後からボンネビルの空は真っ黒になり、スコールに襲われた。そして23日までだった予定がキャンセルされ、1986年のスピードウィークは終わってしまった。

みんなで記念撮影
さぁ、新記録樹立の記念撮影。左から3番目がMr.奥。中央がドンで、その右がジム。一番右はジムのオフクロさんとか。

この天候を考えればR&Bセブンの計画はツキも呼び込んだわけだ。もし、もう一日チャレンジが延びていたら記録達成はできなかったかもしれないからだ。

「いや~良かったヨカッタ。このC/GTクラスの記録は当分、破られないでしょう。でも、こっちの最高速って難しいでしょ」とMr.奥。本当にそうだ。

ノーマルとR&Bセブン
ノーマルのアメリカ仕様RX-7ターボと。このターボはテストできなかったが、ノンターボのは13B搭載で、フリーウェイチェックをしたところ、5速7300rpm、約210km/hくらいだった(メーター読み)。それにしてもサイドポートとツインターボで500ps、388km/hだから凄いね。

しかし、ボンネビルの大地は「やれるもんなら日本からも来てみなさい」と言っているようだった。

1986年11月号OPTION表紙
1986年11月号のOPTION表紙。

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400km/hも手が届く記録…ってコレ、1986年の記事ですよ! アメリカはやっぱりやることのスケールが違います! で、この数年後、日本からも続々と挑戦者が!っていう記事はまだもうちょっと先の紹介になるかな!

では次回は、Daiのドライバー直撃インタビューや雨さんの観戦レポート、他参加者のド迫力マシン紹介へと続きますのでお楽しみに!

[OPTION 1986年11月号より]

(Play Back The OPTION by 永光 やすの)

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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