【第9回・2020年7月9日公開】
昭和30年代後半あたりから少しずつモータリゼ―ションが起き始め、トヨタや日産などから乗用車の新型モデルが続々と発売されました。
東洋工業も1960(昭和35)年に「R360クーペ」を発売して乗用車市場に参入、高い評価を得ることができました。1962(昭和37)年に投入した軽のファミリー乗用車「キャロル」も、R360クーペに続いて大ヒット。
この勢いで東洋工業は1960(昭和35)年~1962(昭和37)年の3年間、トヨタと日産を抑えて念願の生産台数で首位となったのでした。
第3章 自動車再編構想と4輪への本格参入
その2.マツダ初の乗用車「R360」と「キャロル」
●モータリゼーションの幕開け
自動車メーカーは、1955(昭和30)年の通産省による「国民車構想」に刺激され、乗用車の開発に全力で取り組みました。その結果、昭和30年以降に自動車メーカーから乗用車、軽乗用車の新型モデルが続々と登場し、日本のモータリゼーションが幕開けしました。
・1955(昭和30)年
1月 トヨペット・クラウン(トヨタ自動車)
10月 スズキ・スズライト
・1957(昭和32)年
4月 プリンス・スカイライン(富士精密(プリンス自動車の前身))
7月 トヨペット・コロナ(トヨタ自動車)
10月 ダットサン1000(日産自動車)
・1958(昭和33)年
3月 スバル360
・1959(昭和34)年
2月 プリンス・グロリア(富士精密)
8月 ダットサン・ブルーバード310(日産自動車)
・1960(昭和35)年
4月 セドリック(日産自動車)
●「R360クーペ」登場と販売台数日本一の達成
各社の乗用車モデルが続々と発売される中、総合自動車メーカーを目指していた東洋工業は、1960(昭和35)年、乗用車市場への進出を図るトップバッターとして「R360クーペ」を世に送り出しました。
「R」はエンジンを後部に搭載するリアエンジン、「360」はエンジンの排気量356ccを表します。軽乗用車初の4ストローク空冷2気筒エンジン、トルクコンバータ付AT、4輪独立懸架方式のサスペンションといった最新技術を採り入れ、優れた乗り心地と耐久性を実現しました。さらに、モノコックボディとマグネシウム合金を多用した軽量エンジンによって車重を当時の乗用車の中でもっとも軽量の380kgに抑え、最高速度は90km/hを達成しました。
東洋工業の技術のすべてを投入したR360クーペは、スポーティで洗練されたスタイルと30万円という低価格と相まって、翌年には販売数2万3,417台を記録する大ヒット作となりました。
●続く第2弾「キャロル」発売
R360クーペの成功で乗用車市場に進出した東洋工業は、第2弾として1962(昭和37)年に軽乗用車「キャロル」を発売しました。R360クーペが2人乗りであったのに対し、キャロルは大人4人が乗れる大衆車として位置付けました。
搭載された358ccエンジンは、軽乗用車としては初のオールアルミ合金製の水冷4気筒4ストロークエンジンで静粛性を図りました。
リア搭載で空冷エンジンのR360は、エンジン音がうるさく、暖房が使えないという課題がありましたが、これらの課題をキャロルはしっかりと解消していました。
同年11月には、586ccのエンジンを搭載した小型車版の「キャロル600」を、翌年1963(昭和38)年には、軽乗用車としては初の4ドアモデルを追加投入して売り上げを伸ばしていきます。
これらのバリエーション拡充が功を奏し、1963(昭和38)年には東洋工業は軽乗用車で圧倒的なシェア62%を誇りました。
●生産台数日本一に
東洋工業は、1960(昭和35)年には年間生産台数が、好調の3輪トラックも含めて15万7,400台に達し、シェア20.7%で遂に日本一となりました。その後1962(昭和37)年までの3年間、トヨタと日産を抑えて生産台数で首位になるという快挙を達成しました。このようにして、東洋工業は総合自動車メーカーとしての第一歩を踏み出していったのです。
(Mr.ソラン)
第10回につづく。
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