ボンネビルへ向けてのシェイクダウンでレーシングビートRX-7が371km/hを記録!【OPTION 1986年10月号より】

■最高速野郎の目指すトコロ、それがボンネビル・ソルトレイクシティ

●『#StayHome』はclicccar名物!?、昭和OPTION【Play Back The OPTION】を読んで家で過ごそう!

2020年4月23日(木)に公開した『アメリカ最高速の聖地・ボンネビルに挑戦するレーシングビートRX-7』では、1986年のボンネビル・スピードトライアルに挑戦するレーシングビートRX-7(FC)のメカニズムチェックを紹介しました。

今回は、本番へ向けてのシェイクダウンで手ごたえのある記録が出た!という記事を紹介します。

では早速、その速報記事を見てみましょう!それにしても、このモノクロページの色褪せ具合が時代を感じますね~(笑)。

【エキサイティング速報】レーシングビートRX-7 13Bツインターボ 600ps

レーシングビートRX-7
シェイクダウンテストで371km/hをマーク!

■シェイクダウンテストで371km/hをマーク、すべて順調

●シェイクダウンは谷田部的なオーバルコース、しかも雨

果たして、どこまでスピードは伸びるのか。当初、目標とされた350km/hはシェイクダウンテストでいともあっけなく、大幅にクリアされてしまった。なんと371km/h!

しかも、そのシェイクダウンのコンディションを聞くとさらにビックリする。

テストコースは1周7.5マイル(約12km)のオーバルコース。2本の直線路をバンクのついたコーナーでつなぐレイアウトは、日本の谷田部テストコースと同じ。が、谷田部は1周5.5km。スケールはさすがUSA。2倍以上の大きさというわけだ。

だが直線部分は片側3km。ゆるいバンクのついたコーナーの設計速度はマキシマムで225km/h(谷田部は210km/h)でしかない。記録はやはり、直線の立ち上がりからが勝負ということになる。

しかもテストディはコンディションがウェット。オーバルの出・入り口は濡れているというより、川になっていたというのだ。そんなコンディションで100%ポテンシャルを出し切れるワケがない。

直線に入りアクセルON…スピード計測…そして減速…コーナーへ。という走りで371km/hなのだ。パーツ類は順調、トラブルや不満はなかった。

となれば、フルフラットなソルトレイクでいったいどれくらいのスピードが可能になるのか。シェイクダウンの結果を踏まえて予測すれば、385~400km/hに達する!

もう、パンテーラがマークしたプロダクションクラスのレコード322km/hなんか、はなから目じゃない。生産車ベースで400km/hといえば、改造プロダクションも含め、オールプロダクション部門、断トツの新記録になるのだ。

レーシングビートRX-7
本番は一発勝負、それが祭りだ。もう陽気に全開だぜぃ!

●本番は一発勝負、それが祭りだ。もう陽気に全開だぜぃ!

が、ボンネビルのスピードトライアルもシビアだ。計測されるのは瞬間最高速じゃない。走行コースは加・減速区間も入れてトータル往復16マイル(25.6km)、そのうち計測区間が6マイル(9.6km)に及ぶ。その間でブローはおろか、スピードダウンしても記録は夢とついえてしまう。

しかも1週間の予選期間の後、正式記録に残る本番は1チャンス! 予選でいくら速くても、それはファイナルトライに出走する資格が得られるに過ぎないのだ。これもスリル満点だ。

注目のファイナルトライは1986年8月24日。本号(1986年10月号)発売時点で決着はついている。果たしてその結果は!?

1986年10月号
OPTION誌1986年10月号の表紙!

[OPTION 1986年10月号より]

(Play Back The OPTION by 永光 やすの)

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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