「日本発」にこだわるトヨタの気持ちが日本の産業界を変える

■日本橋、そして富士山の麓…トヨタは日本発で世界と勝負する

昨年12月、トヨタは東京の日本橋にトヨタ・リサーチ・インスティテュート・アドバンスト・デベロップメント株式会社(TRI-AD)を本格稼働させました。TRI-ADは自動運転に向けた技術開発などを行うことが目的の会社です。

TRI-AD オフィス模型
TRI-ADオフィスの1フロアを紹介する模型。セキュリティも万全でありつつ、開放感にもあふれる

日本橋の新しいオフィスは、「AI PALETTE(エーアイ・パレット)」をメインコンセプトとして作られました。「AI」は人工知能・愛を意味し、最先端でありながら人を中心としていることを、「PALETTE」は多様な社員が共存していることを示しています。

TRI-ADエントランス
TRI-ADのエントランスは日本橋にちなみ、橋をモチーフにしたデザインとなっている

社内を見学させていただきましたが、いわゆる日本のオフィスとはまったく違った雰囲気です。実際に研究を行っている部分はさほど多くを見ることはできませんでしたが、日本橋のオフィスのなかにドライビングシミュレーターが設置されていたり、社内の通路が道路に見立ててあったりと、およそオフィスという感覚とは異なるものでした。

TRI-AD ホール
エントランスの先には30メートルの巨大スクリーンと3Dサウンドを備えるホールを用意
TRI-ADハンモック
リラックスしながらミーティングが行えるハンモックスペース

TRI-ADには世界中から多くの人材が集まり、その英知を結集して自動運転に向けた技術開発を行うことを目的としています。こうしたオフィスはシリコンバレーに作ったほうがより多くの人材を集められそうですが、あえて東京に作ったのにはさまざまな思惑があります。シリコンバレーではなく、東京のほうが働きやすいと思っている技術者もいますし、東京だから生まれるアウトプットもあるはずです。

TRI-AD 通路
TRI-AD内の通路は道路のペイントがなされ、パーソナルモビリティが通行している
TRI-AD シミュレーター
社内にはシミュレーターが装備され、さまざまな実験が行われている

もうひとつ新しい動きがありました。TRI-ADのニューオープン後、トヨタは2020年1月に閉鎖する予定となっている静岡県裾野市の東富士工場の跡地に、ASE実証都市「Woven City(ウーブン・シティ)」をオープンすると発表したのです。

この実証都市では、トヨタだけではなくさまざまな企業が参入、さらには実際に人が暮らす街として作られます。そのなかで自動運転、モビリティ・アズ・ア・サービス(MaaS)、パーソナルモビリティ、ロボット、スマートホーム技術、人工知能(AI)技術などを導入・検証して行こうという壮大なプロジェクトです。

Woven City 全景 
富士山を臨む裾野市に広大な実験都市が生まれる

当初、この街で暮らすのはトヨタの従業員やプロジェクトの関係者など約2000名程度が想定されているといいます。豊田章男社長は、

「ゼロから街を作り上げることは、たとえ今回のような小さな規模であったとしても、街のインフラの根幹となるデジタルオペレーティングシステムも含めた将来技術の開発に向けて、非常にユニークな機会となります。バーチャルとリアルの世界の両方でAIなどの将来技術を実証することで、街に住む人々、建物、車などモノとサービスが情報でつながることによるポテンシャルを最大化できると考えています。
このプロジェクトでは、将来の暮らしをより良くしたいと考えている方、このユニークな機会を研究に活用したい方、もっといい暮らしとMobility for Allを私たちと一緒に追求していきたい方すべての参画を歓迎します」

と語っています。

Woven City 雰囲気
Woven Cityの街並み。洗練れた未来都市が生まれることだろう

工場が閉鎖され、その土地を商業施設などに転換した場合は、そこに暮らす人々が減り周辺の経済へも大きな影響を及ぼすことが多いのですが、工場がなくなる代わりに新しい街ができるというのは、効率化が進む産業界においても大いなる実験となるはずです。

Woven City 雰囲気2
スケルトンの建物が特徴的、空にはドローンらしきものが見える

TRI-ADが日本の国道元標がある日本橋にオフィスを構え、「Woven City」が富士山の麓にできる。グローバル企業であるトヨタが、アメリカベースではなく日本に腰を据えた開発拠点を作ったことには、驚きと共感とそして感謝が湧き出てきました。

この考え方、日本の自動車業界、いやそれを超えて産業界に大きな変革をもたらすかもしれません。

(文・諸星陽一/写真・諸星陽一、トヨタ自動車)

この記事の著者

諸星陽一 近影

諸星陽一

1963年東京生まれ。23歳で自動車雑誌の編集部員となるが、その後すぐにフリーランスに転身。29歳より7年間、自費で富士フレッシュマンレース(サバンナRX-7・FC3Sクラス)に参戦。
乗って、感じて、撮って、書くことを基本に自分の意見や理想も大事にするが、読者の立場も十分に考慮した評価を行うことをモットーとする。理想の車生活は、2柱リフトのあるガレージに、ロータス時代のスーパー7かサバンナRX-7(FC3S)とPHV、シティコミューター的EVの3台を持つことだが…。
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