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■大人気ヒストリックイベントが開催!
11月16日(土)・17日(日)に鈴鹿サーキットで、世界のモータースポーツの歴史を振り返ることができる「SUZUKA Sound of ENGINE2019」が行われました。
2015年に初開催されてから、いつか行ってみたいと思っていたものの中々スケジュールが合わず……。しかし今年は念願叶い、ついに現地に行くことができました! お伝えしたいことがたくさんありすぎて何から書けば良いのか迷ってしまいますが、まずは私が何よりも感動したWGP(ロードレース世界選手権)編をお届けします。
■WGP US Legends〜Wayne is Back〜
WGPスペシャルゲストとして来日した3人の偉大なアメリカ人ライダー、ケニー・ロバーツ(1978年、79年、80年チャンピオン)、エディー・ローソン(1984年、86年、88年、89年チャンピオン)、ウェイン・レイニー(1990年、91年、92年チャンピオン)。ご存知の方も多いかと思いますが、レイニーは1993年のイタリアGP中の事故による怪我で下半身不随になり引退を余儀なくされたライダーです。
そんなレイニーが、26年振りに鈴鹿サーキット(東コース)を走行するというではないですか!
実はこの走行前、ファンにバレないようにこっそり西コースで練習していたというレイニー。スタッフが「戻ってきてください」と言うまでやるのではないかというくらい、楽しそうに乗っていたのだそうです。
スタッフサポートのもと走り出すと、サーキット中から温かい拍手が鳴りやみません。日曜日には、元WGPライダーで同じく事故で下半身不随となってしまった青木選手も一緒に走行し、「TVで見ていたヒーロー達と一緒に走行できるなんて、夢のよう」と嬉しそうに話していましたよ。
青木選手によると腹筋と背筋に力が入らないため、腕の力だけで体を支えている状態なのだそうです。そんななか、2人ともファンの声援に応えようと一生懸命片手をあげているではないですか(涙)。
さらに、ケニーとエディーも一緒に走行! まるで会話しているかのように4人が楽しそうに走行している姿を見て、現役時代を知らない私でさえ胸がジーンと熱くなるほど感動的でした。
走行後のインタビューでは「まさかレイニーがこんなに速いとはね(笑)。本当に最高だったよ!」(エディー)、「このイベントができたのも、集まってくれたファンのおかげ。ありがとう!」(ケニー)、と興奮した様子。青木選手からは「走行前に4人で並んでチェッカーを受けようって話していたんですけど、レイニーが先に行ってしまいましたね(笑)」とカミングアウト!
当事者レイニーはというと「せっかく日本まで来て2位なんてありえないからね(笑)。本当の本当に最高だったよ。1か月前は本当にできるのかナーバスだったけれど、鈴鹿サーキットに来てスタッフやファンの皆に背中を押してもらって『やるしかない』って思ったんだ。挑戦して本当に良かったよ」と嬉しそうに話してくれました。
4人の走りを見て、「もっともっと頑張って挑戦しなきゃな」と逆に背中を押してもらえたような気がします。この歴史的瞬間を目撃できて、本当に良かった! 今でも頭から離れない、素晴らしい時間となりました。
■スペシャルトークショー
GPスクエアステージではケニー、エディー、レイニーのトークショーが開催! ステージ前には多くのファンが集まり、中には当時の雑誌やTシャツなどの応援グッズを持ってきている人もいましたよ。
鈴鹿サーキットを久しぶりに走行した感想を聞かれると、ケニーは「今日3人で一緒に走れたのは凄く良い思い出になった。僕はイベントが苦手でいつもは早く帰りたくなってしまうのだけど(笑)、ファンのおかげで今日はそんなことないよ。ドウモアリガトウゴザイマス」と日本語まで披露してくれました。
「1983年に、ケニーの後ろで走っていた瞬間を思い出したよ。コーナーへの進入とか、全く当時と変わっていないんだよね」と懐かしそうに話すエディーが突然ファンを見て、「あそこに当時のケニーがいるね!」と大興奮。
なんと等身大パネルを持ってきている方がいたんです! パネルを見るなり「あの頃は痩せていたし、髪の毛もあったね(笑)」と言うと、つかさずケニーが「いや、まだ横のほうはあるけどね!」と反撃(笑)。楽しそうな2人のやり取りを見れるのも、このイベントの魅力かもしれませんね。
力強い走りで感動を与えてくれたレイニーは、「エキサイティングな一日だったよ。当初全員でゴールしようという話だったんだけど、『勘弁してくれ』って思って(笑)。だから勝利をいただいたんだ!そして最高の友人であるエディーと僕にとってのヒーロー、ケニーと一緒に走れて良かったよ」と嬉しそう。
また「走り終わった後、家族と喜びを分かち合えたのも嬉しかった。おそらく人生で初めての経験じゃないかな。今まで幾度も祝福したり、表彰台に上って他のライバル達とこのような瞬間を分かち合うということはあっても、走行を終えた直後に家族がいることはなかったんだ。妻、息子、娘が自分を待っていてくれている、この瞬間を分かち合えたのは本当に素晴らしく感動的な瞬間だったよ。この感動を忘れられないから、来年またチャレンジしようかな!」と最高の言葉を聞くことができました。
ステージ袖にはレイニーの家族が嬉しそうに見守っており、「SUZUKA Sound of ENGINE」がレイニーファミリーの新たな扉を開けることができたのではないかと思うと目頭が……(涙)。
また3人とも鈴鹿8時間耐久ロードレース(以下鈴鹿8耐)経験者ということもあり、当時の思い出を振り返ってくれました。
「1988年がルーキーイヤーだったのだけれど、ケニーはすでにチャンピオンだったよね。鈴鹿に来るまで何回か表彰台に上がっていたけど、なかなか勝てなくて。でもこの年の鈴鹿8耐で初優勝することができたんだ!直後のイギリスGPでも勝てて、鈴鹿で勝てたことが自信に繋がったことは間違いないね。忘れられない出来事だよ」(レイニー)
「レースが終わって空港に向かっていた時が、一番の思い出かな(笑)」とアメリカンジョーク(!?)を言うケニーに対し、エディーは「僕は1980年、初めて鈴鹿8耐に参戦した時かな。当時はシケインがなかったんだよ。最終コーナーに入る前はそのままシケインなしで6速のスピードで走ってきて、目の前に壁が現れる……。練習走行で初めて鈴鹿サーキットを走り終わってピットに戻ってきた時に、『これを8時間やるの?勘弁してよ』って思わず言うくらい怖かった。僕を含めライダーやドライバーはシケインが嫌いだけど、でもここのシケインは大好きだよ(笑)」と当時のびっくりエピソードを話してくれました。
終始暖かい空気に包まれたトークショー。
集まったファンはまるで少年時代にタイムスリップしたかのようにキラキラ目を輝かせており、私まで嬉しさが伝染して幸せな気持ちになりました☆
(写真:鈴鹿サーキット、yuri/文:yuri)
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https://clicccar.com/2019/10/28/921639/