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日曜日に行われた最初のヒート、ラウンドオブ14では、パイロット達はゲート9の飛び方を変えてきた。風が西寄りに変わり、風によって助けてもらえなければ南のリミットラインを超えてしまう可能性があったからだろう。ほとんどのパイロットはここでバーチカルターン、つまり垂直に上昇するラインを選んだ。
この飛び方で注意しなければならないのは失速だ。高度が上がると共に機体の速度は低下する。そこで操縦桿を強く弾き続けていると失速してしまうのである。
主翼が完全に失速する前、翼を流れる空気が部分的に剥がれ出すため、気流が乱れて機体を叩くバフェッティングという症状が発生し、機体が不安定になる。ここで操縦桿を緩めれば、完全に失速に入ることは回避できる。
しかしバフェッティングレベルで止めたとしても部分的には失速が発生している。失速すると機体を持ち上げる揚力が急激に減少して抵抗が増える為、抵抗でスピードが低下してしまう。
オーバーGの場合はGメーターがあるが、失速を事前に知らせるメーターはない。その為、パイロットは経験と感覚で失速が発生しないように飛ぶのだが、レースパイロットのようなベテランでも限界ギリギリのフライトをすると失速させてしまうことがある。特に注意しなければならないのがバーチカルターンで速度が落ちた時だ。
これで失敗したのがマット・ホールだった。上昇して宙返りとなる頂点付近でモニターを見ていてもハッキリと分かるくらいに機体がガクガクと揺れた。すぐに操縦桿を緩めて回復させたもののタイムを伸ばすことができなかったのである。
●ラウンドオブ14で起こったドラマと番狂わせ
ラウンドオブ14では二つのドラマがあった。一つは室屋が対戦相手のベン・マーフィーに敗れたことである。こうなると室屋が次のラウンドに勝ち上がる可能性は一つ。ファステスト・ルーザーとなることだった。敗者の中で最速タイムとなった一人だけが「ファステスト・ルーザー」として次のラウンドオブ8に進むことができる。
室屋が飛んだ後に行われる対戦は6つ。この中で、敗者が誰か一人だけでも室屋のタイムを超えてしまったら室屋は姿を消すことになる。残り12人の選手がどのようなタイムを出してくるか、会場に押し寄せた6万人の観衆は、胃が痛くなるような思いで、後に続く対戦を見守ることになった。
室屋もピットで他の選手達の戦いを藁にもすがるような思いでみつめていた。「レースを観ていて3回くらい心臓が止まりそうになった」とレース後室屋は語っていたが、それは観客も同じ。誰かが室屋のタイムを上回りそうになるたびに悲鳴のような声が会場のアチコチで漏れた。
室屋は敗者の中で辛うじて最速のポジションにあった。しかしもうダメかと思われたのが最後に行われたカービー・チャンブリスとファン・ベラルデの戦いだった。前日の予選でペナルティなどにより最下位だったチャンブリスが室屋の57.912を上回る57.306を出したのである。対戦相手のファン・ベラルデは予選最速タイムをマークしている。順当にベラルデが勝ったとすればファステスト・ルーザーはチャンブリスということになる。
ところがベラルデのタイムは伸びなかった。チャンブリスに及ばず敗退。タイムは58.180。僅かに室屋に届いていなかった。これで室屋はラウンドオブ8に進出することが決定したのである。
もう一つのドラマは、ソンカの敗退だ。昨年のチャンピオンであり、今年もランキングトップにいるソンカは、フリープラクティスで最速タイムを出しており、前日の予選でも二番手だった。先に飛んだ対戦相手のニコラス・イワノフのタイムも58.518とふるわなかった。先に飛んだイワノフのタイムを無線で聞いたソンカは、何も無理をする必要はなかった。普通に飛べばそれで勝ち進めたはずである。
実際、ソンカは前半、安定したフライトでイワノフのゴーストを引き離していった。誰もがソンカの勝ちを当然のように予測していた。ところがゲート9のバーチカルターンで突然ペナルティの音が鳴り響いた。オーバーGだった。リミットの11Gを超えた引き起こしをしたことにより1秒のペナルティとなってしまったのである。必死で1秒を取り戻すべくフライトするソンカ。しかし0.29秒イワノフに及ばず、ここでまさかの敗退となってしまった。
ソンカ自身、ここでギャンブルに出るつもりはなかっただろうし必要もなかった。ソンカのコメントを聞いても、この時ペナルティを受けたのは予想外だったようだ。原因の一つとして考えられるのは風。ゲート13では南西の風、つまり機体に対して正面から風が吹いていた。風は常に変化し、機体は影響を受ける。10Gギリギリでの引き起こしをしようとした時、瞬間的にガストが吹いてソンカの機体を強く押したのかもしれない。
2年連続チャンピオン獲得を目指し、ここまでランキングトップを守り続けてきたソンカは、ファイナル4での戦いまでシミュレーションしていたことだろう。しかしたった一回のミスでその目標は砕け散ってしまったのである。
二輪や四輪のレースとは異なり、レッドブルエアレースは短時間で勝敗が決まる為、一瞬のミスが命取りとなる。それは空を飛ぶ乗り物、パイロットすべてにも言えることだ。ソンカの敗退は、そんな空の厳しさをあらためて我々に教えてくれることになった。
●最後まで息もつかせぬレース展開。決勝目指して8人が全力でタイムアタック
ラウンドオブ8でも室屋と対戦したのはフランシス・ルボットである。先行は室屋でタイムは57秒895。続いて飛んだルボットは、前半のセクションタイムで室屋とほぼ同等の速さで飛んだ。そして途中からルボットがわずかにリードを広げていく。観客席から悲鳴のような声が上がった次の瞬間、ルボットはパイロン通過時の姿勢とパイロンヒットという二つのペナルティを受けてしまう。こうして室屋は決勝ファイナル4にコマを進めることになった。
ラウンドオブ8の4つの対戦でペナルティがなかったのは、チャンブリスとイワノフの戦いだけだった。その他の対戦ではどちらかがペナルティを犯して敗退している。そしてペナルティを受けているのはほとんどがゲート8から10にかけて。今回のレースでゲート9周辺がいかに難しく、勝負所になったかがわかる。
もちろんこのセクションの難しさやリスクは各パイロット、十分に承知していたはずだ。それでも最後のレースとなる幕張でファイナル4に残りたいという強い気持ちがあったからこそ、リスクを承知でギリギリのラインを飛んだのだろう。実際、ラウンドオブ8での速さを見てみれば8人のタイムは57秒代後半から59秒代前半。1秒強の中で8人のパイロットがファイナルを目指すという激しい戦いだった。そして室屋はラウンドオブ8で最速のタイムを叩き出していた。
●室屋がホームで3回目の優勝。マット・ホールが悲願のシリーズチャンピン
ファイナル4はピート・マクロード、室屋、チャンブリス、ホールの戦いとなった。ポイントで室屋をリードしているホールは、このレースで3位以内に入ればシリーズチャンピオンを決定することができる。対して室屋がチャンピオンになる為にはこのヒートで優勝し、なおかつホールが4位だった場合のみだ。
最初に飛んだマクロードが二つのペナルティを受け、トータルタイムが1分04秒028となった時点で、ホールがチャンピオンになる可能性は一気に高くなった。ホールがペナルティさえ出さなければ3位以内に入ることは、ほぼ確実な状況だ。
2番目に飛んだ室屋はペナルティを出さず、タイムは58.630。次に飛んだチャンブリスは室屋を超えることができず、この時点で室屋が暫定トップ。そして最後がホールのフライトだった。
ホールはここでレースに優勝するよりも、確実にシリーズチャンピオンになる道を選んだ。ホールはこれまで90回のレースに出場し33回表彰台を獲得。シリーズランキング2位を4回も取りながらチャンピオンになったことがなかった。チャンピオン獲得はホールの悲願だったのである。
ホールのフライトは慎重だった。突然の風が吹いたことなども考慮し、若干大回りに飛んでゲートにまっすぐ進入する。こうして1:00.052でフィニッシュ。この瞬間、室屋の優勝が決定。マットはこのレースで3位となりシリーズチャンピオンに輝いたのである。室屋は1ポイント差でランキング2位となった。
今回のレースで室屋は危ういシーンが何度かあった。本人だけでなく、観客も「もしかしたらここで姿を消してしまうのではないか」と思ったことがあった。それでも最後まで勝ち進み、優勝を遂げたことに、室屋は会場に詰めかけた観客からの大きなパワーを感じたという。
2019年幕張ラウンドは、長い間続いたレッドブルエアレースの最後を締めくくるのに相応しい熱い戦いとなった。押し寄せた6万の観客は、最初から最後まで息を飲みながら大空で繰り広げられた戦いに釘付けとなったのである。
(文:後藤 武)
≪後藤 武(ごとうたけし)プロフィール≫
二輪、四輪、航空、アウトドアのライター。米国と日本の自家用飛行機、事業用ヘリコプター免許を所持。米国ではエアロバティックスの大会にも出場していた。90年代から2000年代の前半には航空専門誌「シュナイダー」の編集長として自ら操縦桿を握り、世界中の貴重な飛行機のインプレッションを執筆。レッドブルエアレースではテレビの解説を務めていた時期もある。
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https://clicccar.com/2019/10/18/916813/