ポリマーの未来をクルマで表現。コンセプトカー「ItoP(アイトップ)」のユニークな成り立ち

■コンセプトカー「I to P(アイトップ)」を生んだプロジェクト「ImPACT」とは?

内閣府が統括する「革新的研究開発推進プログラム」、英文の“Impulsing PAradigm Change through disruptive Technologies Program”の頭文字を取って「ImPACT」という先端研究プロジェクト群が進められている。

ざっくり言ってしまうと、科学の先端領域を踏み分けている研究者をプロジェクト・リーダーに、学術研究を専門とする組織(アカデミア)、例えば大学の研究室などと、現実の製品に向けて開発・実用化を得意とする企業などを横断的に組織して、これまでの常識や定石を超える成果を生み出そう、というプロジェクト群。素材からロボット、人体、ITなど複数の分野で、提案→採択された16のプロジェクトが現在進行中である。

2013年6月にその創設が閣議決定されて、ここまで5年あまり。全体の状況・内容についてはそのホームページとリンク先に多くの情報が掲載されているのでそちらに譲るとして、ここでは、そのプロジェクトのひとつ「超薄膜化・強靱化『しなやかなタフポリマー』の実現」の一環として製作されたテクノロジカル・コンセプトカー「I to P(アイトップ)」について、その“自動車”としての成り立ちを紹介していこうと思う。

【ポリマーの持つ可能性を「自動車」として具現化】

なぜこのプロジェクトの中でこうした実走コンセプトカーが作られたのか。「しなやかタフポリマー」として複数の分野、材質でこれまでの常識を破る高分子樹脂素材が実現した時に産業や社会にどんな“インパクト”を与えるか、その可能性を「自動車」という具体的な形を取ることで分かりやすく伝えようとするものだ。

ここに見てゆくと、ポリマーとしての革新、すなわち「強靱で」「衝撃に強く」「荷重による変形の繰り返しに強い」をあわせ持つこれまでにない素材・何種かは実現しつつあるが、まだ実用試験段階にあるテーマも複数あって、それらは現段階ではクルマとは別に試作ユニットの形で紹介されるなどしている。

もともとコンセプトカーは、そうした実用前段階の技術を想定して“明日のクルマ”の成り立ちを描くものであって、今回の「I to P」に実装されていなくても、その存在を前提にしていれば、あるいは実装可能な段階になったら組み込んで機能を確認する、ということであれば、このクルマの存在意義は十分にある。その意味では、日本で久々に登場した「コンセプトカーらしいコンセプトカー」だと言える。

そうした前提に立って、ここでは「I to P」が自動車としてどんな構成を採っているのかを見てゆくことにしたわけだ。筆者は以前からこうした実走可能なコンセプトカーのエンジニアリングを観察し、紹介することを楽しんできた。今回もそのパターンで進めたい。

【レーシングカーづくりの達人が協力】

そんな企画が可能なのも、このクルマの企画・設計・製作を担当した東レカーボンマジック(TCM)の奥明栄社長、実車開発・製作の取りまとめを担当した竹林康仁氏ともに、もともとはレーシングカー開発・製造を通して筆者とは旧知の仲であり、そのつながりを利して詳しい話を聞き、実車を詳細に見取る機会もいただけたからである。とくに奥氏はかつて童夢でF3000、グループC、ル・マン車両などのチーフデザイナーを務め、その中で「自動車へのC(カーボン)FRPの適用」について国内随一とも言える知見をものしてきた人物。ご本人によれば「(2008年のル・マン・プロトタイプ車両)S102以来久しぶりにクルマ1台をトータルで企画、図面を描きましたよ」とのこと。奥氏は今でも執務室に手描き設計用のドラフターを置いている。

前置きはこのくらいにして…。まず「I to P」、その基本形は、センタードライブ(中央運転席)・後ろ2シートの3座パッセンジャーカー。全長4280mm×全幅1930mm×全高1350mmだから幅は広いがゴルフ、カローラなみのエクステリア・サイズである。ホイールベースは3000mmと長く、トレッドも前1660mm/後1670mmと広めだが、これは車幅が大きいことに加えてタイヤ幅が狭い(後述)こともある。

そして車両重量は850kg。一体殼状のフルモノコック・シェルは140kg。前後長2.2mもある大きなスイングアップドアがアッセンブリー(窓パネルや開閉機構まで含めて)32kgとのこと。

【ボディ、足回り、タイヤまでが「しなやかタフポリマー」】

これらの車体骨格のほとんどがCFRP(カーボンファイバー強化プラスチック。実態としては力を受けるカーボンファイバーを合成樹脂で接合した複合材)のスキン(内外皮)でアルミ合金やアラミド繊維布のハニカム材をサンドイッチした、レーシングマシンではお馴染みの素材で作られている。そのマトリクス材(炭素繊維糸を接合する樹脂)には、もちろん「しなやかタフポリマー」の中で東レが東京工業大学、東京大学などと協力して開発している高剛性・高靱性の新しいエポシキ系樹脂も使われている。シート構造部材(シェル)などがその一例。

いっぽう、フロントエンドからルーフにつながる1枚もののウィンドウスクリーン、左右ドアのほぼ全面を占めるウィンドウの透明パネルも、これまでならばたわみに強いポリカーボネート(PC)か、剛性が高いが割れやすいアクリルか、というところを、このプログラムではアクリル系透明樹脂に高い靱性(たわみ耐性)を持たせた新素材の開発を住友化学が中心になって進めている。

【ふたつのグリップを押し引きするユニークな操舵系】

新しいマトリクス樹脂を使ったものも含めて、このクルマにはCFRPで作られた重要な機能部品が各所に組み込まれている。まずフロント・サスペンションはダブル・ウィッシュボーンだが、主ばねをタフポリマー導入CFRPの横置きリーフスプリングにして、その外端側をアッパーアームに使っている。ロワーAアームもCFRP一体形成品で内端側を伸ばしたロッカーアーム部分でダンパーを伸縮させるレイアウトだ。

ボディから独立した形でスリムなフェンダーに包まれている前輪を動かすステアリング・メカニズムは、ユニークな構成。左右の手で握る縦型のグリップからそれぞれ前に伸びるロッドがリンクを介してタイロッド〜アップライトへとつながり、ドライバーは左右のグリップを常に逆方向へ押し引きすることで操舵する。この仕組みはもうずいぶん前にクルマの操縦性と人間工学を結びつけたある自動車エンジニアが発想したもの。人間がクルマを操ることの最適化を追求してF1の開発にまで携わった人物であって、このクルマの発表時に久しぶりにお目にかかった。ここでもモータースポーツ系人脈がつながっている。

リア・サスペンションもダブル・ウィッシュボーンで、こちらの主ばねはCFRPで作ったコイルスプリング。コイル部分の線材はねじられつつ伸縮変形するので、リーフスプリング以上にマトリクス樹脂に求められる機械的特性はシビアになる。そして上下のAアーム、トー方向の固定用ロッドの3種のリンクに加えて、アップライトも構造体部分はCFRP成形品。ベアリング、ボールジョイント類やボルト類は金属製で、それらとの締結部には金属インサートが組み込まれた構造となっている。このあたりの異種素材の接合はTCMとしては“お手のもの”ではある。

【タイヤにも革新的な骨格材を採用】

このリア・サスペンション側にパワーユニットが組み込まれている。つまりインホイール・モーターによる後輪駆動。そのモーターは定格出力15kW/最高出力23.5kW(左右輪にあるから合計30/47kW)。EV開発をウォッチングしている者なら外観からそれとわかるように、おかやま次世代自動車技術研究開発センター(OVEC)がもう7年近くにわたって開発してきたユニットの第2世代だ。基本原理としては永久磁石回転子・同期モーターだが、回転部分を外側に置くアウターローター・タイプである。同じ岡山に拠点を置く戸田レーシングがデリバリーしている。このあたりも、モータースポーツ系ものづくりのつながりが浮かび上がる部分ではある。

そしてタイヤ。ここにも「しなやかタフポリマー」の応用が進められている。タイヤの骨格であるカーカスは合成繊維の糸(コード)を密な簾(すだれ)状に引き揃え、合成ゴム(これもポリマー)で貼り合わせたもの。この骨格材を構成するポリマーの靱性と疲労強度を飛躍的に高めれば、骨格を薄くできる。つまり軽くてしなやかなタイヤになるわけだ。このポリマーの開発には九州大学、京都工芸繊維大学などが参画、タイヤにまとめあげるのはブリヂストンが担当している。このタイヤを組み合わせるホイールもCFRP成形品であり、もちろんTCMが設計、製造したもの。

 

【より進化した燃料電池の搭載も想定】

「しなやかタフポリマー」プログラムには、リチウム電池の正極と負極の間を絶縁しつつ電解質は通過させるという役割をするセパレーター、また燃料電池(固体高分子型)で電極間に挟まれて水素イオンを通過させる電解質膜(イオン交換膜)というそれぞれのポリマー薄膜についても、強度を高めて薄くする開発も当初からのテーマとして組み込まれている。これらもすでに現物ができあがっているが、リチウム電池、燃料電池それぞれに小型の試作品が公開されている状況で、今の「I to P」には既製品の電池が搭載されている。

こうした内容を詰め込んだ、科学技術革新のデモンストレーターたる「I to P」。その命名は「Iron(鉄)」から「Plastic」へ、を意味する。もうひとつ“裏の”意味としては、このImPACT「しなやかタフポリマー」の推進・取りまとめ役であるプログラム・マネージャー、伊藤耕三・東京大学大学院教授のことを指し示している、という話も聞こえてきた。

そしてこの「I to P」は、はじめにも紹介したように、実走するコンセプトカーである。実際に乗って、走ると…というレポートは「次回に続く」。

(文:両角岳彦/写真協力:ImPACT)

この記事の著者

両角岳彦 近影

両角岳彦

自動車・科学技術評論家。1951年長野県松本市生まれ。日本大学大学院・理工学研究科・機械工学専攻・修士課程修了。研究室時代から『モーターファン』誌ロードテストの実験を担当し、同誌編集部に就職。
独立後、フリーの取材記者、自動車評価者、編集者、評論家として活動、物理や工学に基づく理論的な原稿には定評がある。著書に『ハイブリッドカーは本当にエコなのか?』(宝島社新書)、『図解 自動車のテクノロジー』(三栄)など多数。
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