OPT誌デビュー当時の「ターザン山田」ドキュメント。FJレースを見てレーサーを目指した幼気な少年だった!? その1【OPTION 1985年8月号より】

【初めてフォーミュラに乗ったとき】

「恐かったです。いくら広いサーキットでも初めてFJを走らせるんだから。ハンドリングはシビアだし、フォーミュラカーだからヘルメットに当たる風は半端じゃないし、本当に驚きました。必死にコントロールしているのは覚えてますが、どこをどうやって走ったのか、覚えていませんね。コーナリングなんかメチャクチャですよ。今だから笑って話せますけど、そのときは必死でした」。

ここまでくるのに、かなり時間がかかったという。田舎だったし、友達はみんな学校に行って運転など誰も教えてくれる人はいない。レーシングカーをどこで買えばいいのか、サーキットはどうしたら走れるのか、まったく分からなかった。そして、あらゆる本に目を通し、自分ひとりで何でもやるため、時間的にもかなり苦労したという。デビューまでの2年間は練習を重ねた。

しかし、資金的に月1度しか走れなかった。1回の走行でガソリン代、メンテナンス代、走行料で1ヵ月分の給料が無くなってしまったからだ。そして2回めの練習時に大クラッシュをしてしまう。(次回へつづく)

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というところで、続きは次回その2で! しかし、Daiちゃんの発掘能力、そこも凄いと思いませんか? Daiちゃんのそんなところ、尊敬するんですよね〜。

[OPTION 1985年8月号より]

(Play Back The OPTION by 永光やすの)

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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