トーヨー・タイヤの中国市場への戦略

世界で一番自動車が売れる国、中国。2017年は2900万台を販売し、2位のアメリカ1800万台に1000万台以上の差をつけています。

それだけを耳にすると、大変「美味しい」市場のようにも思えますが、それは誰もが思いつくもの。10数年前から日本もそれ以外の諸国も彼の国へ進出を試みてきました。

そんな自動車関連の日本企業のひとつ、トーヨー・タイヤの中国拠点であるトーヨー・タイヤ上海の董事 総経理(いわば社長)の平尾昭二さんに現地の様子をお聞きしました。

—現在の中国におけるトーヨーブランドについて教えてください。

平尾氏「十数年前から自動車関連に限らず多くの日本企業が中国を目指してきましたが、成功しているといえるほどの会社は見当たらないように思います。弊社もまだまだこれから。というのも、中国でのタイヤメーカー、ブランドは300を超えると言われますが、大手も地元もたくさんあるブランドの中で、どのような特徴を出すのか、まさにこれから戦略を練っていかなければならないという状況です。

—現状の中国市場でのOEM(メーカー標準装着)とリプレース(交換用タイヤ)の比率はどうなっていますか?

平尾氏「大手タイヤメーカーさんなどではOEMのほうが比率が大きいところもあるようですが、うちの場合はOEMが2割、リプレースが8割といったところです。」

—と言うことは、一般へのブランドの認知度が重要ですね。一般ユーザーがタイヤ交換するのはどこなんでしょう?

平尾氏「タイヤ専門店で行うことが多いようです。自動車ディーラーではまだそういったアフターサービスの取り込みにまで至ってないようです。今後はECも伸びると思われます。」

—そうすると、ますます知られているタイヤが選ばれることになりますね。やはり安さでは地元メーカーに太刀打ちできませんか?

平尾氏「まったく敵わないですね。およそ半額くらいの差になっています。製造原価と関係なく販売価格を決めているんじゃないか、と思えるほどですね。」

—中国ユーザーの求めるものは価格ばかりですか?

平尾氏「いいえ、価格を求めるお客様は多いですが、それだけではありません。お金持ちでとにかくいいものを求める層もいますし、少しは他よりもいいものをというお客様も分母が大きいので相当な数がいるのです。」

—ならば、性能や特徴を出していかなければなりません。

平尾氏「そうなんです。タイヤショップなら店員さんに性能がいいものを勧めてもらうということもあります。通販だと、『ああ聞いたことがあるな』というものの中から選ばれるわけですから、とにかく名前を知られる必要があります。」

—それで、中国戦略のひとつとして、こういったドリフト競技(D1GP China)にも参戦するんですね。

平尾氏「アメリカでもドラッグレースやドリフト、オフロードレースなどで知名度を上げてきた実績もあります。」

—今回のD1(D1GP China ラウンド1北京大会)でも、見事、エースドライバーの川畑選手が優勝しました。彼のマシンの横ではひっきりなしに自分と車両の記念写真を撮る光景が見られました。

平尾氏「なんでも1番になれば、そのクルマに付いているものがいいものとして覚えてもらえます。大手のようにF1に供給するようなことはできませんが、できることからコツコツとやっていくつもりです。」

—ありがとうございます。

*  *  *  *  *

中国でモノを売るのは大変です。安いのが特徴のモノを作ろうと思っても無理があります。性能が良いモノを作ってもそれを大勢に知ってもらう苦労も大変なものです。

かつてないほどの自動車市場において、国内のみならずこれまでのグローバルと比べても、大量生産、大量消費の単位が違っています。

しかし、物作りの生産効率は必ずしも大きければ良くなるとは限りません。プロモーションもすべての人に知らせる必要はありません。必要とされる分を、必要としている人に届ける、ということが合致するのが最適解なワケです。

広い中国で勝ち抜くには、単にたくさん売るのではなく、適材適所のモノ作りではないでしょうか。ナンバーワンにならなくてもいい、オンリーワンになればいい、と唄の歌詞のようなものが北京の空の下で思い浮かびました。

今回の大会では、トーヨータイヤのDriftチーム「Team TOYO TIRES DRIFT」のエースドライバー川畑正人選手が見事優勝、2位も同チームの内海彰乃選手。トーヨーのワンツーフィニッシュを飾りました。

(clicccar編集長 小林 和久)

この記事の著者

小林和久 近影

小林和久

子供の頃から自動車に興味を持ち、それを作る側になりたくて工学部に進み、某自動車部品メーカへの就職を決めかけていたのに広い視野で車が見られなくなりそうだと思い辞退。他業界へ就職するも、働き出すと出身学部や理系や文系など関係ないと思い、出版社である三栄書房へ。
その後、硬め柔らかめ色々な自動車雑誌を(たらい回しに?)経たおかげで、広く(浅く?)車の知識が身に付くことに。2010年12月のクリッカー「創刊」より編集長を務めた。大きい、小さい、速い、遅いなど極端な車がホントは好き。
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