フランスの自動車メーカーのひとつであるプジョーは、ホットハッチの「205GTi」や、わずか33ヶ月で100万台を販売した「306」などを手掛けきたことから分かるように、現実離れしたようなハイパフォーマンスやラグジュアリーといった特別感ではなく、日常性を重視したモデルを数多く輩出してきたブランドです。
その歴史は、アルマン・プジョーが蒸気三輪車「セルポレ・プジョー」を開発した1889年まで遡ります。その後、動力機関を蒸気からガソリンへと切り替えた「Type2」を開発。1891年には後継モデル「Type3」で2200kmのレースを14.7km/hで走破したといいます。
第一次世界大戦が終了してからは自動車の大衆化へと舵を切り、また第二次世界大戦の後もその路線は貫かれ、戦後間もない1948年にはプジョー初のモノコックボディを採用した「203」を発表。その販売台数は1960年までで約70万台にも上ったそうです。
その後も、ディーゼルエンジン(1958年)、直噴ガソリンエンジン(1961年)、前輪駆動車「204」(1965年)など画期的な技術が用いられた実用車を数多く開発。その流れは今も途切れず、現在は「3008」や「5008」といったSUVに力を注いでいます。
さて、これらのことから分かるように、プジョーは車の誕生から長く関わってきた由緒あるブランドであり、その歴史は100年を超えています。しかし、これはあくまで車に関する時間。
実はプジョーの歴史は日本では戦国時代の真っ只中の1532年に始まりました。ちなみに織田信長が討たれた本能寺の変は1582年。当時のプジョー家は農家であったものの、職人や軍人、職工さらには地方公職など多彩な分野に進出し発展を遂げていきました。
転機は1734年。織物業を営んでいたジャン=ピエール・プジョーは独自の手段で工業化へのきっかけをつくりだし、染物工場、搾油機、穀物製粉機を息子たちに残しました。1810年、彼らはスー・クラテにあった製粉所を製鋼所へと改装し、1824年にはエリモンクール工場で3台のチルトハンマーと7基の圧延機によって一日あたり100~150kgの鋼材を生産するようになり、1840年代にはポンドロワド、ヴァランティニェ、およびボーリューに新工場を設立するまでに拡大。
その商品ラインナップは、帯鋸、スプリング、コルセット用ボーン、傘のフレーム、コーヒーミル、ペッパーミルと実に多彩。なお、現在でもペッパーミルの販売は継続されており、プジョーオンラインショップで実際に購入することができます。気になったらチェックしてみては?
(今 総一郎)