群馬を代表する山岳信仰の名残りある上毛三山その3・妙義神社【車中泊女子の全国縦断記】

上毛三山をご紹介するシリーズ、ラストは妙義山と妙義神社です。

「妙義山」とは複数の山の総称で、南側の白雲山・金洞山・金鶏山などは「表妙義」、北側の谷急山・丁須の頭・御岳などが「裏妙義」と呼ばれています。

妙義山は国の名勝に指定されており、また日本百景にも選ばれている風光明媚な名勝です。

道の駅【みょうぎ】から拝む白雲山。中腹にある「大」の文字は、「妙義大権現」の「大」を表しています。

妙義山には、初心者向けの「石門めぐり」から「関東ふれあいの道コース」、本格登山の「山頂縦走」コースが整備されていますが、今回は妙義神社への参拝のみです。

大鳥居をくぐり、神社へ向かいます。妙義山は上毛三山のひとつであるだけでなく、耶馬溪(大分県)、寒霞渓(香川県)と並んで「日本三大奇勝」のひとつにも挙げられています。

関東一の壮大さと称されている総門は高さ12m、切妻造りの八脚門(国指定重要文化財)です。江戸時代、妙義山から採れる安山岩で作った高さ10mの石垣(県重要文化財)も廻らされており、見応えあります。

写真左側の「三本杉」の真ん中はパワースポットとして有名だとのことで、中に立ってみました。樹齢約500年、静かな佇まいの中でそよ風に吹かれていると心が落ち着くような気がします。

太鼓橋と、165段の参道石段! でも、ここを登る前に…

波己曽(はこそ)社(旧 妙義神社社殿/群馬県指定重要文化財)に参拝。

妙義山の古名は「波己曾(はこそ)山」、神社もかつては波己曽神社と呼ばれていたと、『日本三代実録』に記載があります。

2007年の台風による土砂崩れで石段から上が立ち入り禁止となった際は、復旧するまで波己曽社殿を仮殿と定めていました。
(復旧工事は2013年12月に完了しています)

石段は勾配が急だし狭いし、歪んだところもあります。

復旧工事の際になぜ直さなかったのかというと、妙義神社ではあえて江戸時代から当時そのままの状態を残すように努めているからだそうです。

石段を登って振り返れば、こんな眺めが待っていますよ! 写真を撮った場所は随神門(群馬県指定重要文化財)。山岳信仰の場に似つかわしくないくらい、とってもユーモラスな阿吽の像があります。そちらは行ってのお楽しみ!

宝暦6年(1756年)建造の唐門(国指定重要文化財)をくぐれば、もう境内です。

境内の、拝殿に向かって右側には石垣で囲まれた「北門」があります。もともと妙義神社はお社が存在せず、「影向(ようごう)岩」がその磐座(いわくら)であったと云われています。

磐座・磐倉・岩倉とは、古神道における岩に対する信仰のこと。あるいは、信仰の対象となる岩そのもののこと。樹々でこんもりしている下の部分が、その影向岩です。

北門を出て石垣の裏側から見ると、影向岩の頂部と下部(岩窟)には、それを裏付けるかのように複数の石塔が安置されていました。

境内に戻り、本社(本殿・弊殿・拝殿/国指定重要文化財)へ参拝。創建は、宣化天皇2年(537年)と伝わっており、現在の社殿は宝暦年間(1751~1764年)の改修によるものです。

数々の彫刻が素晴らしく、色彩も豊か! ぐるっと360度、眺めたくなるほど芸術性が高い建造物です。

実は本社の裏側には、ひっそりと天狗様が鎮座されています。心願成就にご利益があり、願い事を「ひとつ」叶えてくれると伝えられていますので、妙義神社へお越しの際はお忘れなく天狗様へもご参拝ください。

毎年11月3日には紅葉祭「妙義ふるさと祭り」が開催され、獅子舞、八木節、和太鼓、神楽、舞いなどの郷土芸能大会が披露されます。

(松本しう周己)

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松本しう周己

高校は美術科を卒業し、印刷会社のデザイン部に就職するも2年足らずで退職してフリーターに。主にコンサート・イベント関係で全国を駆け回る。その後、なぜかウェブデザインの道へ。仕事としては車との接点はまったくないが旅行好きでドライブ好き、20年前から道の駅などで車中泊していた。
「ネットを通して仕事ができれば、どこにいても構わないのでは」と、2005年、ついにキャンピングカーを自宅兼仕事場としてしまった。根は機械オンチなため、日進月歩の日々。
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