最高速テストドライバー・Dai稲田が誕生した日。トップタイムはウエスト・コルベット285.71km/h【OPTION1983年2月号より・その2】

Daiはレーサーを殺すのか!?

なんとか安全に最高速テストをやりたい、というオレの考え方がレース業界から後ろ指をさされるようになった。それも当然かもしれない。国さん(高橋国光さん)の腕をしてみても「もうチューニングカーの最高速はやめたほうがいい。危険すぎるよ」という。周りからも「偉大なレーサーを危険に陥れるようなことはやめろ」と言われるようになった。しかし、オレはまだ踏ん切りがつかなかった。

これは津々見友彦さんや北野元さんにお願いした時に頂点に達した。

その日の谷田部は強風に襲われた。オレとしては踏める速度までは記録だ、と思っていたが、北野さんはやはり「カミソリの切れ味」と異名をとったほどのレーサーだ。その強風の中でアクセルを踏み続け、「こんな危ないことはできない」とマシンから降りた。「このままだと誰かが死んじゃうよ」。

国さんや北野さんの言い分は正しい。偉大なレーサーなのに、なにもこんなことをする必要なないのだ。ただ、オレが昔からレース業界に携わっていた関係から引き受けてくれたわけだが、すべてオレが悪かったと思う。

その日から、最高速テストはオレがやるようになった。

国さん、北野さん、望月さん、津々見さん、他今まで最高速テストをして頂いた皆さん、本当にすみませんでした。お詫びします。

この問題では自分なりに当時、心を痛めて、悪夢を見る日々だったのです。(稲田大二郎著書:「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ)より)

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この日の谷田部最高速テストで初ドライバーを務めたDaiちゃんの乗ったウエスト・コルベットが1番手のタイムを記録! 試乗車たちからのエールだったのでしょうか(笑)。では次回【その3】以降では、国産車1位のRE雨宮RX-7・13BツインターボやRSヤマモトZ他を紹介いたしますのでお楽しみに!

[OPTION 1983年2月号より]

(Play Back The OPTION by 永光やすの)

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永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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