技術は裏切らない。先進的な技術を極めるDNAを生んだ創業者の姿とは?【意外と知らないクルマメーカーの歴史・アウディ編】

ドイツの自動車メーカーであり、メルセデス・ベンツやBMWと並んで人気のAudi。精巧かつ緻密な雰囲気を漂わせるルックスから想像できるように、その機能も他車がマネをするほど先進的なものが備わっています。

遡れば「クワトロ」でお馴染みの4WDシステム。また、ATとMTの旨味だけを抽出したデュアルクラッチトランスミッション。小排気量エンジンにターボを組み合わせて出力と低燃費を両立する手法の確立。そして、走行中の情報把握に大きく貢献する12.3インチ液晶メーターなどなど。その例は多いです。

そんなアウディにおけるホットな話題といえば、やはり自動運転技術です。これまではレベル2(部分自動運転)に相当する技術が普及してきましたが、新型A8はついにレベル3(条件付き自動運転)へ到達。ドライバーはクルマが要求した場合を除いて運転から解放され、クルマが自動で加減速から操舵まで行なってくれます。

このように、その後のクルマづくりに大きく影響を与えるような機能をいち早く導入する、つまり先進性こそがアウディというブランドの特徴ですが、そもそも先進性を極めるきっかけとは、なんだったのでしょうか?

そこには一人の人物の存在が欠かせません。その人物こそ、創設者のアウグスト・ホルヒです。

ザクセン州ミットヴェイダの工科大学を卒業後、カールベンツのもとでエンジン開発を担当。その後、自動車生産部門の責任者を務めました。

3年の月日で自動車づくりを学んだ彼は、1899年に独立してケルンにホルヒ&チエ自動車工業を設立しました。彼の手がけるクルマは、とにかく「品質」と「性能」へのこだわりが強く、アルミ製エンジンやニッケルクローム鋼の歯車など、当時の珍しい技術が積極的に採用されていました。また自身のレース参加にも積極的で、1906年のヘルコマーラリーでの勝利など、モータースポーツでの活躍を起爆剤に短期間での躍進に成功しました。

しかし、その強いこだわりによって技術開発費は膨らみ、会社は経営難に。1909年にホルヒは会社を離れて別会社を設立したものの、すでにホルヒの名称は商標権で使えなかったため、ラテン語で同じく「聞く」を意味する「Audi」と名付けられました。

かくしてスタートしたAudiの知名度を高めたのは、やはりモータースポーツでした。1912年〜1914年にかけてのアルペンラン3連覇のほか、1930年代のグランプリレース、さらに1970年後半から参加した世界ラリー選手権など、各時代において革新的な技術を搭載したマシンで勝利を収め、その結果「進歩的でチャレンジングなカーメーカー」としての地位を確立していきました。

スタイリッシュな装いと先進的な機能の数々もさることながら、「スーパーカーに知性を」のコンセプトを掲げる新ブランド「Audi Sport」の立ち上げなど、創業当時のDNAは現在のAudiにも着実に受け継がれているのです。

(今 総一郎)