すごかったのは、ロータリーエンジン研究部がL10A発表直後にレーシング仕様開発に取り組んだ事です。覚えているのが軽乗用車キャロルの晴海アウトドア発表会でした。松田恒次社長は、「ホンモノの自動車の音がする」と水冷アルミOHV4気筒エンジンの滑らかさと静けさを誇りました。メデイアのレースについての質問に、「あのやかましいのは好きではない。」ぶち抜き排気のREは「THE ヤカマシest」。しかし、社長、 REレース活動については黙(?)認されたようです。
RE研究部レースチームは、2台のコスモスポーツをレースとロードラリーをミクスしたようなニュルブルグリンクを中心とした1968マラソン・デラルート84時間にエントリーしました。車名は、[Mazda 110S]、数字はL10Aのエンジン出力からとったのですが、輸出した後期型L10Bは128 HPにアップします。レースエンジンは、吸入ポートは、サイドとペリのコンビポート。気化器は日気製ウエバー・サイドドラフト型。車高を低めるため、REは低い位置に搭載、オイルサンプが必然的に浅くなります。レースコンディションでの片寄りを防ぐため、オイルパンには複雑形状バフルを入れていました。レーシングREのもうひとつの奇癖は、レース中オイル量が増えるのです。アペックスシール潤滑のため、オイル噴射をしますが、これが溜まります。対策は、コカコーラ空き缶キャッチタンクだったとは! 公称130HPと言いますが、それ以上は出していたようです。
81時間目に日本人ドライバーチームの片山義美が後車軸破損でホイールを飛ばしクラッシュ、ギリギリでニュルの大木をかわしました。「帰ってきた片山は、10歳も年取ったような顔だった」とはレース活動リーダー松浦国夫エンジニア。ヨーロッパ人運転の110Sは、総合4位なる立派な成績でした。
数年経ってからと思います。山本健一専務(当時)から高性能REのお話を聞いていました。「レースでのREはスプリント型ですか、耐久向きですか。」「スペシャリストを呼ぼう。」現れたのが松浦国夫エンジニアでした。山本専務、「私はスプリント型と思うが、君はどうだ。」松浦、「スプリント向きではありません。耐久と思います。」ルマン24時間優勝に至る若木は育っていたのです。
(山口京一)