メルセデス・ベンツが国産チューンドのライバルだった頃があった!?【OPTION1982年7月号より・前編】

1984年から始まったDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)で最強、常勝だったメルセデスが、フォーミュラEへ移行するから2018年限りで撤退・・・とのニュースが流れてきました。また、ポルシェが2017年限りでル・マンをはじめとしたWECから撤退とか。レースの世界でもガソリン車は肩身の狭い思い(?)をし始めていますが、心地よい濃い目のガスの香りがする世界からの大メーカー撤退は、レース好きのOPT読者としてはちょっと寂しいです。

で、レース色も濃いメルセデスですが今回、紹介するこの記事は1982年なのでDTMが始まる少し前になります。ル・マンにも復帰する前なので、メルセデスはレースの世界からはちょっと遠のいている頃ですね。

で、この当時のストリートでチューンド国産車のライバルは、日本初の300km/hオーバーを果たしたパンテーラや、それに続く大川トランザムをはじめとしたアメ車軍団やポルシェといった感じ。チューニング的にはちょい蚊帳の外っぽい感じを持つのもメルセデスでした。

しかし、メルセデスにはAMGという魅力的なラインもあります。OPTだって見逃すわけにはいきません。はたして、その敵はどんなヤツなのか? そして、当時の「最新型」も懐かしいです。

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世界最速マシン・シリーズ
メルセデスベンツを狙え!

まるで高速原子力艦のように堂々とクルージングするメルセデス。秘めた力を超高級サルーンボディで覆っているだけにニクイ。国産チューンドカーの強敵、まずは敵をよく知ることが重要だ。

メルセデス・・・なぜOPTがこんな高級車を気にするか。メルセデスは重厚な衣を着ているが、スピード・スピリッツに溢れているからだ。最高速記録車や、かつて「シルバーアロー」と呼ばれ全世界を震撼させた栄光のレースヒストリー。国産チューンドカーの標的に不足はない。なんといってもSクラスにはまるで最速記録車「C111」の血が流れているようなエアロダイナミズムがある。さらに、メルセデスにはAMGチューンというスペシャル版が大流行中。性能追及への情熱は、超高級車も国産チューンドカーも共通なのだ。

目醒めるスピードスピリットに注目

「スリー・ポインテッド・スター」、これが陸・海・空の3界を制覇するシンボルというのはすごい。ベンツ博物館にはあらゆる自動車とともにモーターボート、飛行船、高速魚雷艇、戦闘機、長距離爆撃機、速度記録機。さらにパワーショベル、ドイツ国鉄のディーゼル機関車までが雄姿を誇っている。

海・空はともあれ、1886年にダイムラーとベンツが期せずして4輪と3輪車を発表して以来、メルセデスは自動車の始祖である。そしてレースと共に生きてきた。その過程において、メルセデスほど「最強」の名を欲しいままにしたメーカーはない。

1894年、世界初のレース(パリ-ルーアン間)はダイムラー・エンジン車が上位独占。第1次大戦後はタルガ・フロリアから制した。1934年からの750kg制限フォーミュラ時代にはW125という名マシンが登場。1938年の3Lフォーミュラではスーパーチャージャー・マシンが他を圧制した

スポーツカーの名作300SL/SLRがル・マンで大活躍したのも有名な話である。そして1955年のル・マン、大事故によりレース撤退宣言。

が、今・・・。メルセデスに何かが起こりつつある。

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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