東京の首都高速とは一線を画す、大阪環状線。今現在は、この記事のようなことにはなっていない・・・そうですが、80~90年代当時の大阪環状線は、一種独特? 個性の塊のような過激なチューンドが夜な夜な走り回っていました。
「週刊ヤングマガジン」誌(講談社)で連載されていた人気のクルマ漫画といえば、「頭文字D」「湾岸ミッドナイト」が2大巨頭。その次に人気だったのが大阪環状族を題材にしていた「ナニワトモアレ」で間違いない・・・と感じます。このナニトモ作者の南勝久さんが元環状族だったこともあり(以前インタビューしたことあり!)、多少の誇張はあるものの、マンマ環状族の実態を上手いこと描いていました。
そんなナニトモの世界、しかも最大のお祭りとなる元旦走り初めをOPTは取材していました。バーフェン、スリック当たり前、ナンバー無しさえも堂々行進? 時には鈴鹿や中山サーキットを走っていたレーシングマシンがパクられ、そのまま環状を走った後、ソコラへホカされていた・・・という事実まであったというウワサの、無法地帯のような環状族でしたが、OPTは「それでも走りたいんや!」という叫びが聞こえてきそうな環状族魂を影ながら見守っていたい! 関東でいうトコロの「元旦富士山詣」ともちょっと違う、一種独特なイロを持つ環状族の熱さを覗いてみましょう。
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激走最前線 新春走り初め 年に一度の無礼講、見よ堂々の大行進!
めでたく明けた、’83年正月。例によって三が日は全国的に交通量がグンと減少、過密国日本も気持ちのいい走りの別天地に大変貌。と思いきや、ドッコイ、走り屋の西の本拠大阪では、ちょっと事情が違うようで・・・。
健在! 関西の土性骨に脱帽
1982年末は、関東の走り屋にとって、受難の師走であった。ゼロヨン、キャノンボール、さらには首都高レーサーの検挙を報じるニュースが大々的にTV、新聞紙上を駆け巡ったのである。ともあれ、関東では警察プラス御用マスコミが共同歩調で、年末年始の走り初め威嚇キャンペーンを激しく展開し、結局、大晦日の年忘れゼロヨン大会も流れてしまった。
<さすが関西! ついに登場したナンバー消しマシン軍団! パトカーがウジャウジャいる環状に走り込んでくるのだから、ズゴイ!>
それに対して、関西では・・・。
「正月の大阪環状はオモロイで」との風聞は以前から耳に入っていた。それも、今春初イベントというのではない。歴史と伝統ある新春恒例の走り初めだというのだ。
「元旦の初日の出は、環状で見るのが大阪の走り屋や!」「1年に1度、この日のために出てくるマシンもあるで!」いずれにしろ、関西の走り屋の土壌は厚い。その看板に偽りない土性骨のすわり具合に、キミもトクと注目して欲しい。