F1速報25周年を記念して「F1事件簿30年史」が発売されました!
1950年からスタートしたF1。現代に至るまで様々な歴史や伝説がうまれてきました。
「F1事件簿30年史」では、1987年~2016年をピックアップ。この30年間におきた、構想・派閥・クラッシュ・八百長(!?)など、忘れられないあの事件や、あんな事件まで! 105ページにわたって振り返ることができます。
■川井一仁セレクション 10大事件
F1解説でお馴染みの川井一仁さん。ウラのウラまで取材してきた川井さんが選ぶ「特に印象に残ったF1 10大事件」で、見事(?)1位に選ばれたのは、2005年アメリカGPで起きた「ミシュランゲート」でした。記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。
2001年~2005年のF1は、ブリヂストンとミシュランによるタイヤメーカー同士の争いでもありました。2005年のエントリー台数は20台。そのうち、ブリヂストンを装着していたのは6台、ミシュランは14台でした。
事件の発端は2005年アメリカGP金曜日フリー走行。ラルフ・シューマッハーのクラッシュがきっかけでミシュランタイヤに問題があり、レース速度ではターン13を安全に走れないことが発覚しました。関係者の間で様々な解決策が練られましたが、結局ミシュラン勢はレースをスタートせず、レースに出たのはブリヂストンを装着した6台のみ。完走すれば全員ポイント圏内(当時の入賞は8位まで)という前代未聞のレースだったのです。
当時取材に行っていた川井さんが、現場の様子を語ってくれています。
「あの時は(決勝日に)何かが起こることは分かっていて、朝、とんでもなく早くホテルを出発したのを覚えている。スタート4時間前に着くというのが当時の我々(中継スタッフ)のルールだったんだけど、あの日は通常より2時間早く、朝8時くらいには着いていたと思う。」
金曜日にタイヤの問題が発覚してから、現場ではいろいろな対策が練られていたのだそう。
「土曜日の段階で『タイヤどうする?空輸する?』とか、ガタガタやりだしていた。ミシュランが別のスペックのタイヤを持ってくる、こない、でも間に合わないとかね。スペインGP仕様のタイヤを空輸しようとしている話があった。問題の最終コーナー手前にシケインを作ろうとか、ブリヂストンがミシュラン勢にタイヤをサプライするとか、いろいろな話が出ていたけど(結果的には)全部、無理だった。」
6台のみのレースはシンプルで「中継時に喋ることがなくて苦労した」という川井さん。当時の思い出を振り返ります。
「昼食をきちんと食べていないくらいドタバタしていた。でも、インディアナポリスって本当にメディアサービスが良くて、放送ブースが広いうえに防音がしっかりしていて、しかも向こうのスタッフがそこに昼飯を置いていってくれる。今でこそ言える笑い話だけど、やむを得ずレース中にそのサンドイッチを食べていた。」
レース終了後、サーキットはいつもと違う雰囲気だったようです。
「(ファンが)コース上に物を投げ入れたりしていたよね。放送が終わってから、観客席側にあるブースを降りて行くと、あの大きいグランドスタンドの後ろ側が殺気立っていた。あの日、チームのメンバー達は皆、とりあえず着替えて出ようっていうのがチームから指示されていた。チームのユニフォームで帰ったら、クルマで信号待ちなんかしたら何されるか分からないからってね。ドライバーたちはエスコートを付けて帰ったんじゃないかな。」
せっかく楽しみにしていたグランプリ。たった6台しか走らないレースを見せられたお客さんの気持ちを考えると、殺気立つのも納得ですよね。
さて、F1 10大事件2位~10位は何の事件が選ばれたのでしょうか。予想を立ててから見るのもおもしろいかも!?