トヨタ新型プリウスPHVのソーラー発電、急速充電は必要?

1997年、世界初のパラレル・ハイブリッドカーとしてプリウスが誕生した時、個人的に興味津々、実は飛びついて注文しました。

「これは面白い機構のパワートレインだ。乗ってみて試してみなきゃ、本当のことはわからないだろう」という興味が一番大きな理由でした。

215万円というプライスは、画期的なクルマにいち早く乗れる対価としては妥当だし、売ってるトヨタさんとしてもそれでペイする値付けでないことは明確なことを考えると「安い」と感じたほど。ちなみに真偽のほどはわかりませんが、社内で車両価格の根拠は明確にすることができず、「21世紀へ5(GO!)」として215万円になったとかウワサされました。もちろん、値引きはゼロ。納車は1998年の3月末でしたが、翌4月からはグリーン税制で減税されたのだけは少し悔しかったです。

日常で使ってみると、初代プリウスの初期モデル特有の「個性」でもある「かっくんブレーキ」も欠点と感じるより、「これをうまく使って燃費をよくしたり、快適に走れるようにしたい」とプラスに感じたくらいです。

高速では100km/h巡航でもしばらく走っていると上り坂などで「亀マーク」が出てパワーダウン。それも新しい発見、どれくらいなら亀がでないのかな?と楽しんでいました。

しばらくは周囲の人に「これがプリウスか。乗ってもいい?」とか聞かれたり、「こんな半分電気で走るクルマ、楽しわけないよ」といいつつ乗った後にはみんな「へー、すごい時代になったんだね」と微笑みます。当時担当していた改造車系自動車雑誌の取材先で、今はお亡くなりになった強面チューナーさんが満面の笑みで私のプリウスから降りてきたのを今でも思い出します。

確か半年点検の時、バッテリーのセル間の電圧差が基準値を超えたので無償交換しました。プリウスの215万円はバッテリーの値段とも言われた高価なものをタダで交換してくれるのも嬉しかったし、新しいジャンルのクルマの進化に関わっていられるというのも自動車好きとして誇らしくも感じました。

その後のその個体は実家に引き取られ永い余生を送りました。トヨタを支えるまでになったプリウスはマイナーチェンジ、フルモデルチェンジの度に大きく進化し、まともなクルマにどんどん成長して、正直言って所有するほどには興味のないクルマになっていました、個人的に。

この記事の著者

編集長 小林和久 近影

編集長 小林和久

子供の頃から自動車に興味を持ち、それを作る側になりたくて工学部に進み、某自動車部品メーカへの就職を決めかけていたのに広い視野で車が見られなくなりそうだと思い辞退。他業界へ就職するも、働き出すと出身学部や理系や文系など関係ないと思い、出版社である三栄書房へ。
その後、硬め柔らかめ色々な自動車雑誌を(たらい回しに?)経たおかげで、広く(浅く?)車の知識が身に付くことに。2010年12月のクリッカー「創刊」より編集長を務める。大きい、小さい、速い、遅いなど極端な車がホントは好き。
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