リトラの初代RX-7、当初ライトは固定だった! SA22デザイナー小野隆が初登壇で語った【歴代ロータリー車ミーティング2017】

なんと1/1クレーモデルになってもそのヘッドライトが丸目の固定式だったこと、ガラスハッチ3分割への変遷など、生産型へと至るストーリーを披露していく中、小野さんがデザインをしていた時代は、現在とは違いデザイナーがクレーモデルを削っていた話や、いかにクレーモデラーとデザイナーの関係性が密であったかという話などが盛り込まれていきます。

そして話は、SA22Cのデビューへ。実はIMSA仕様についても量産のカタチが決まった段階で、量産のクレーモデルをベースに小野さんがデザイン、カラーリング。外国人ジャーナリスト向けの発表会で、ニューモデルの発表と同時にレースモデルを発表、これが外国車メーカーを含めて、前代未聞だったそうです(2代目のFC3Sでも同時公開をしたそうです)。

その後、オイルショックとスポーツカー(とデザイナー)不遇の時代について語り、2代目サバンナRX-7、FC3S型のデザインストーリーへと進みます。

世界的に大成功をおさめた初代を受け、小野さんは2代目のデザインを任されます。そのプレッシャーの話からFCの話が始まります。特徴的なブリスターフェンダーを軸にその後マツダの伝統となる敏腕なクレーモデラー、その1人である萬谷清敏氏とのストーリー、そして、それまで谷田部の日本自動車研究所の風洞試験場を用いていた空力チェックですが、社内の三次試験場へ風洞が建設されたストーリーなどが展開されます。

この記事の著者

古川教夫 近影

古川教夫

1972年4月23日生。千葉県出身。茨城大学理学部地球科学科卒。幼稚園の大きな積み木でジープを作って乗っていた車好き。幌ジムニーで野外調査、九州の噴火の火山灰を房総で探して卒論を書き大学卒業。
ネカフェ店長兼サーバー管理業を経て、WEB担当として編プロ入社。車関連部署に移籍し、RX-7やレガシィ、ハイエース・キャピングカーなどの車種別専門誌を約20年担当。家族の介護をきっかけに起業。福祉車輌取扱士の資格を取得。現在は自動車メディアで編集・執筆のほか、WEBサイトのアンカー業務を生業とする。
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