見れば納得! 鮫やエイがテーマの歴代「コーベット」

メイコ・シャークは、サメ類最速を誇ります。上半身がメタリックのライトブルー、下半身がホワイトの洒落たツートーンです。 (wiki)
メイコ・シャークは、サメ類最速を誇ります。上半身がメタリックのライトブルー、下半身がホワイトの洒落たツートーンです。 (wiki)

“メイコ”とは、ニュージーランド先住民マオリ族語「鮫」です。生魚は平均3m+、サメ類最速で18ノット(35km/h)を出します。

ミッチェル御大、彼のスポーツ・フィッシング獲物を剥製にしてオフィスに飾っていました。これが1961年の新コンセプトカーのテーマになります。魚のメイコ・シャークは、素晴らしいメタリック調ブルーと下部白のツートーンです。デザイナーたち、どうやっても同じブルーが出せず、一計を案じました。彼らは、夜のうちに剥製の方をデザイン部手持ちカラーに塗ったのです。翌朝、クルマの新塗色案を見たミッチェル、「これでよろしい」! GMデザイン幹部たちは、ミッチェルが居ない席で時々、こんなエピソードともジョークともつかない話しをしてくれました。真偽のほどは分かりません。

メイコ・シャークも生産型C2に影響を与えたデザインです。

1963年C2コルベット・"スティング・レイ"。開発指揮者ゾーラ・アーカス-ダントフは翼断面を逆さまにしたようなボディ形状の空力リフトを抑えるのに苦労したそうです。
1963年C2コルベット・”スティング・レイ”。開発指揮者ゾーラ・アーカス-ダントフは翼断面を逆さまにしたようなボディ形状の空力リフトを抑えるのに苦労したそうです。

ミッチェルは、1965年にメイコ・シャークのボデイを取っ払い、新ボデイをデザイン、GM最新高性能7L・V8を搭載した”メイコ・シャークⅡ”コンセプトを完成します。可変リアウイング、デジタル計器、ステレオを装備し、今でも多くなるハリボテではなく、実走、機能する実験車でもありました。このデザインが1968年C3コルベット・”スティングレイ(1語)”となります。

初期C2の2分リアウインドウ。2015年デトロイトのシボレー・ワークショップの展示車です。
初期C2の2分リアウインドウ。2015年デトロイトのシボレー・ワークショップの展示車です。

 

1965 "メイコ・シャークⅡ"は、ミッチェル命令でデザイン一新、巨大なV8を搭載しました。ただ、視界と空力安定には問題があったということです。上半身のカラーはダークになったようです。フロントフェンダーに鮫のエンブレムが見えます。
1965 “メイコ・シャークⅡ”は、ミッチェル命令でデザイン一新、巨大なV8を搭載しました。ただ、視界と空力安定には問題があったということです。上半身のカラーはダークになったようです。フロントフェンダーに鮫のエンブレムが見えます。

ビル・ミッチェルに会う度に、彼の役者ぶりに感心したものです。

ある日、彼の最新のスーパーバイク2台を見に行きました。デザイン・センターからの足は、チョップドルーフ(ルーフを切り取り、低める)・ビュイック・リヴィエラで、エンジンはなんとNASCARレース用500馬力V8、とんでもない轟音を発しますが、規則にうるさい 所内パトカーも見ない、開かぬふり。

ビル・ミッチェルのコンセプトペア、C3コルベットとハーレー・デイヴィドソンXLR1000ベースで、両車とも"スティングレイ"。
ビル・ミッチェルのコンセプトペア、C3コルベットとハーレー・デイヴィドソンXLR1000ベースで、両車とも”スティングレイ”。

看板もでていない店舗風平屋で見たのがミッチェルの次のカスタマイジングの素材バイク2台、ハーレイ・デイヴィドソンXLR 1000とヤマハTZ 750。オヤジ、GMのコンセプトカー数台に、バイクのコンセプトをペアにしていました(これでデザイン部内の工房が使えます)。

GM技術センタ〜近くの幹線道路脇のショッピンモールの看板のない1軒がミッチェルのバイク秘密基地。手前がスティングレイ・コンセプトとなるXLR1000、背後に改造二手をつけなかったヤマハTZ750。壁のヘルメットは、ミッチェルの実動スーパーバイクにカラーマッチしている。
GM技術センタ〜近くの幹線道路脇のショッピンモールの看板のない1軒がミッチェルのバイク秘密基地。手前がスティングレイ・コンセプトとなるXLR1000、背後に改造二手をつけなかったヤマハTZ750。壁のヘルメットは、ミッチェルの実動スーパーバイクにカラーマッチしている。

ハーレーは、先鋭的(尖ッた)白い一体カウリングを纏い、 “スティングレイ”と命名しました。後日、「TZ750はどうしました」と聞くと、「一度、うちのテストコースで乗ったが、レーサーはレーサーの手に渡すべきと考え、才能ある若手に彼が買える値段で譲ったよ」。オヤジのいいところです。

1968コルベットC3は、"ステヴングレイ(一語)"を名乗ります。ミッチェル・シノダ・デザインです。これも2015年シボレー・ワークショップの広い駐車場でちょい乗りに供されました。
1968コルベットC3は、”ステヴングレイ(一語)”を名乗ります。ミッチェル・シノダ・デザインです。これも2015年シボレー・ワークショップの広い駐車場でちょい乗りに供されました。

ミッチェルは、視界、空力安定性に課題のあったメイコ・シャークⅡのボデイを一新し、最新のアルミV8搭載車を製作しました。”マンタ・レイ”です。マンタ・レイは成魚でオス3.75m、メス4mに達する大型エイです。

国際保護種に指定されているマンタ・レイ。(Wiki)
国際保護種に指定されているマンタ・レイ。(Wiki)

ビル・ミッチェルは、1977年に定年引退しました。第3代デザイン役員となったアーヴ・リビッキは、優れた画才をもつ芸術家肌でした。ミッチェルの奔放さに、いささか辟易していたGMトップの選択だったという説がありあります。『金太郎飴』型の量産車が続出した時期です。

スティングレイⅡをさらに洗練させた"マンタ・レイ"で、ミッチェル最後の怪魚となる。これは、第4代目デザイン役員、チャック・ジョーダンがッシノダとヴィンテージ(そんなのがあるのです)・ゴーカート・メーカ=のラップを招いた際のマンタ・レイ。車の上半身はチャーコール。
スティングレイⅡをさらに洗練させた”マンタ・レイ”で、ミッチェル最後の怪魚となる。これは、第4代目デザイン役員、チャック・ジョーダンがシノダとヴィンテージ(そんなのがあるのです)・ゴーカート・メーカ=のラップを招いた際のマンタ・レイ。車の上半身はチャーコール。

(山口 京一)