“メイコ”とは、ニュージーランド先住民マオリ族語「鮫」です。生魚は平均3m+、サメ類最速で18ノット(35km/h)を出します。
ミッチェル御大、彼のスポーツ・フィッシング獲物を剥製にしてオフィスに飾っていました。これが1961年の新コンセプトカーのテーマになります。魚のメイコ・シャークは、素晴らしいメタリック調ブルーと下部白のツートーンです。デザイナーたち、どうやっても同じブルーが出せず、一計を案じました。彼らは、夜のうちに剥製の方をデザイン部手持ちカラーに塗ったのです。翌朝、クルマの新塗色案を見たミッチェル、「これでよろしい」! GMデザイン幹部たちは、ミッチェルが居ない席で時々、こんなエピソードともジョークともつかない話しをしてくれました。真偽のほどは分かりません。
メイコ・シャークも生産型C2に影響を与えたデザインです。
ミッチェルは、1965年にメイコ・シャークのボデイを取っ払い、新ボデイをデザイン、GM最新高性能7L・V8を搭載した”メイコ・シャークⅡ”コンセプトを完成します。可変リアウイング、デジタル計器、ステレオを装備し、今でも多くなるハリボテではなく、実走、機能する実験車でもありました。このデザインが1968年C3コルベット・”スティングレイ(1語)”となります。
ビル・ミッチェルに会う度に、彼の役者ぶりに感心したものです。
ある日、彼の最新のスーパーバイク2台を見に行きました。デザイン・センターからの足は、チョップドルーフ(ルーフを切り取り、低める)・ビュイック・リヴィエラで、エンジンはなんとNASCARレース用500馬力V8、とんでもない轟音を発しますが、規則にうるさい 所内パトカーも見ない、開かぬふり。
看板もでていない店舗風平屋で見たのがミッチェルの次のカスタマイジングの素材バイク2台、ハーレイ・デイヴィドソンXLR 1000とヤマハTZ 750。オヤジ、GMのコンセプトカー数台に、バイクのコンセプトをペアにしていました(これでデザイン部内の工房が使えます)。
ハーレーは、先鋭的(尖ッた)白い一体カウリングを纏い、 “スティングレイ”と命名しました。後日、「TZ750はどうしました」と聞くと、「一度、うちのテストコースで乗ったが、レーサーはレーサーの手に渡すべきと考え、才能ある若手に彼が買える値段で譲ったよ」。オヤジのいいところです。
ミッチェルは、視界、空力安定性に課題のあったメイコ・シャークⅡのボデイを一新し、最新のアルミV8搭載車を製作しました。”マンタ・レイ”です。マンタ・レイは成魚でオス3.75m、メス4mに達する大型エイです。
ビル・ミッチェルは、1977年に定年引退しました。第3代デザイン役員となったアーヴ・リビッキは、優れた画才をもつ芸術家肌でした。ミッチェルの奔放さに、いささか辟易していたGMトップの選択だったという説がありあります。『金太郎飴』型の量産車が続出した時期です。
(山口 京一)