「ホンダ」のクルマに対して抱く印象は、世代によって大きく異なります。
それこそ「タイプR」や「NSX」、F1での輝かしい活躍をリアルタイムで経験した世代は、ホンダ=スポーティというイメージを思い浮かべるでしょう。
その一方で、それらを知らない、または人から伝え聞くくらいの世代にとって、ホンダは「ステップワゴン」や「オデッセイ」そして「N-BOX」などが印象的で、スポーティと言われてもピンとこないかもしれません。
わずか数年でガラリと印象が変わってしまったホンダですが、その四輪の歴史は間違いなくスポーティなものからスタートしています。
現在の本田技研工業株式会社のはじまりは、1946年10月に本田宗一郎が静岡県浜松市に設立した本田技術研究所。
内燃機関や工作機械の研究と製造が行なわれており、1947年に自転車用補助エンジン「A型エンジン」の独自開発に成功した後、翌年に本田技研工業株式会社として歩みはじめました。
その後、Honda初の二輪車「ドリームD型」や、「スーパーカブC100」といった二輪車を開発・販売するとともに、マン島で開催されるオートバイ競技“マン島TTレース”へ参戦し、125ccと250ccのクラスで5位まで独占する偉業を達成。当時から闘争心が根付いていたのでしょう。
そんなホンダが四輪事業への参入を発表したのは1962年のこと。それ以前から、すでに試作車の製作が行なわれていたのですが、そのラインナップはトラックと、なんと2座席スポーツカーの2種類というユニークな組み合わせ。
まず、 1963年8月には初の四輪車「T360」がデビュー。
日本初のDOHCエンジンとなった水冷4サイクル並列4気筒エンジンを搭載。わずか354ccで30ps/8500rpmを発揮しており、当時の軽自動車用エンジンが20psほどだったなかでは、異例の高スペックを誇っていたそうです。
そして、そのわずか2カ月後の10月に、小型スポーツカー「S500」を発売。
2座席のオープンカーとして登場した「S500」では、エンジンの排気量は531ccへとアップし、最高出力も44ps/8000rpmへと向上しました。
実用的なモデルに加えて、スポーツモデルもいきなり投入するという異例の歴史をもつホンダ。
2015年には2座席オープンカーであり「S」の名を冠する「S660」が登場し、新型「シビック Type R」と「NSX」も後に控えています。
ミニバンと軽自動車で培った実用性という鉄壁の盾と、「S660」などで披露してくれた走行性能という研ぎ澄まされた矛で武装したホンダに、再び黄金期が訪れるときは近いのかもしれません。
※文中敬称略
(今 総一郎)