ピンクのクラウンならぬピンクのランクルが昭和35年にアメリカ大陸を縦断。アラスカからチリまで、夢を乗せて走った

こんにちは!矢田部明子です!今回は私が東京オートサロンで出会った『ピンクのランドクルーザー』についてご紹介します。本当のレストアとは何なのか?私に改めて教えてくれました。

ピンクのランクルのランドクルーザーの正体は!?

地球縦断「さくら」と書かれたピンクのランドクルーザーは、昭和35年にアメリカ・アラスカ州、フェアバンクスからチリ、プエルトモントまで走破した実物のランドクルーザーでした。

『さくら』という名前にちなんで、当時もピンク色に塗られていたそうです。総走行距離32,212km、117日間に及ぶ無謀ともいえる挑戦は、世界で初めてアメリカ大陸縦断ドライブを無事故で走破したという記録も残していました。

私の愛車ランドクルーザー76の先祖にあたる、このピンクのランクルを見たとき目頭が熱くなってしまいました。そして、河北新報社の社内倉庫に眠っていた、このランドクルーザーが再び私達の前に姿を見せてくれたのには、沢山の人の思いが詰まっていたからでした。
アメリカ大陸縦断にかける思い
1955年頃に、ランドクルーザーは国内で民間用として乗られるようになっだけではなく、海外へも輸出されるようになりました。壊れにくく、どんな悪路でも走行可能なランドクルーザーはアメリカで多く愛用されるようになり、日本のメーカー『トヨタ』の車は丈夫だという信頼性が浸透していきました。

アラスカからチリまでの縦断を決めたのは、まだ誰も走行した事のない距離を走り『信頼性』を世界に証明したかったからと言えるでしょう。他には、当時のエンジニア達が、どこまで自分達の技術が通用するのか確かめたかったからでもあるのかなと思いました。いずれにせよ、アメリカ大陸縦断という記録を作るだけではなく、夢を乗せて走ったのだと思います。


過酷な走行を物語る傷跡…
ボディの左後ろに大きな凹みがあります。これは、恐らく縦断中に大きな木にぶつかった痕ではないかと推測されています。他にも車内は傷だらけ、現代のようにアスファルトで綺麗に舗装された道はほとんどなく過酷なルートを走行したことが分かります。

ステアリングシャフト部分が下に下がっているのは、ドライバーが降り飛ばされないように必死にしがみついたことが予想されます。

また、シートには黒い染みがついていたそうです。これは血液ではないかということでした。まさに、生死を掛けてアメリカ大陸縦断に挑んだのです。


昭和35年から、時を越えて現代へ
アメリカ大陸縦断という目的を達成し、河北新報、社屋駐車場で永い眠りについていたランドクルーザーは、二人のメカニックによってレストアされました。ボディの復元を担当したのは千田達也さん。千田さんは、ボディなどの部品を外し、錆を丁寧に落としていく作業などを行ったそうです。

車内はあえて塗り直さず、錆が進行しないように処理をし、キズは残したそうです。ピカピカに仕上げるだけがレストアではない、ヒストリーを残すレストアだと感じました。

こだわったのは、命懸けの走行である事を物語っているボディの傷を、あえて残したことだそうです。走行中についた傷にこそ、価値があると思ったそうです。制動系とエンジンなど駆動系は、小幡憲司さんが担当しました。年月による腐食や固着もですが。何度も修理していた形跡が見られ、幾度となくあるトラブルに対応しつつ走行していたんだなと感動したそうです。


昭和35年に世界を横断した、ランドクルーザーがまた走り出す
それは、トヨタ車の車は丈夫だという事を今一度、証明することになったのだと思います。何十年前にランドクルーザーを作ったメカニックの技術の高さ、それを復元した現代のメカニックの技術。ピンクのランドクルーザーがそれを物語っているのです。

(文:矢田部明子/写真:吉野健一)

この記事の著者

矢田部明子 近影

矢田部明子

中学生の頃、車のメカニズムに興味を持ち宇部工業高等専門学校に入学。専門的な知識を学んできました。もちろん、車に乗るのも大好きで「86→ランドクルーザー60→ランドクルーザー76」と乗りついで、います。
最近の唯一の癒しは、週末にオフロードに出かけることです!ラジオパーソナリティーやアナウンサーとして活動後、モータージャーナリストの道を歩み出しました。車のメカニズム、メンテナンスなど工業高等専門学校で学んだ知識と経験を活かして、様々な角度からお役立ち情報をお届けしていきたいと思います。
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