BMWミニ・ペースマンに1964年憧れのミニクーパーSを思い浮かべると・・・

〈Mondaytalk星島浩/自伝的爺ぃの独り言43〉  3月2日=ミニの日に発売され、翌週、試乗したのだから既に2ヶ月経過している。相変わらず旧聞の誹り(そしり)を免れないが、ぜひ採り上げたかった。

 BMW支配下に入ったミニも主力はFFモデル。近所の高輪で、シトロエンの跡に構えたショールームでも、カントリーマン=クロスオーバー四駆に触れる機会なし。いつのまにか、ミニは随分、車種&機種が増えたもの。

 

 新型ボディのペースマンは、ぜひALL4と呼ぶ四駆に乗りたかった。招かれたのではない。恥ずかしながら、押しかけ試乗。迷惑だったかしら。

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                                             Mini Cooper S Paceman

 

 2ドアハッチパックしかないのは致し方ないとして、ボディはルーフを後ろ寄よりに低くした、クーペに近いスタイル。逆にベルトラインをリヤに向け高めているので余計ルーフ後半が抑えられて映る。

 

 ヘッドランプごと持ち上げていたフードが、左右に丸穴を設けて軽く開閉できるようになったのは他機種も同じ。ペースマンはテールランプを大型化。それを避ける形のハッチゲートを採用した—-新型ジャガーやボルボでも気づいた、後ろ姿を個性化する最近デザイン傾向に沿っている。

 

 車名<ペースマン>を大きく、クーパーSも明示されているが、<ALL4>はフロントサイドに小さく示されているだけ。もっと自慢したいのに。

 

 内装も一新された。円形計器の伝統を守りつつ、正面中央のコントロールパネルを大きく、ダッシュボードや左右の内張りもスポーティに改めた。ただし2+2ではない。二人が独立して座れる後席を備え、前後とも硬めの、がっちりしたシートに座る。後席乗降性ばかりは4ドア型に敵わないとして。

 

 エンジンはBMW製1.6L直噴ターボ。ゲトラク6速MTではなく私はアイシン製6速ATとの組合せを選ぶ。トランスファーから後輪デフに向けプロペラシャフトが伸びていることは言うまでもない。クロスオーバー同様だ。

 

 以前は、なんとも重かった操舵力が、かなり軽減されたものの、やはり重めで、太いグリップはミニの伝統だろう。意外に小回りが利く。斜め後ろの視野に不満がないと言えばウソだが、キビキビ感は失っていない。

 

 期待どおりのハンドリングは、現存FF車でも、やや強めだったタックイン傾向が影を潜めている。やはり四駆ならでは!  のオンザレール感覚だ。

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 タイヤもFF機種と四駆で異なる。225/45R18サイズが同じ、ピレリ製も同じだが、前後で駆動トルクを分け合う四駆用に、ややソフトな感触を認める。アクセルワークに呼応するパワー&トルクと、巧みなAT変速が相まって久しぶり。日本車ならジュークGT・Four以来の興奮を覚えた。

 

 ただし価格400万円也。FF機種より100㎏重いと思えば、やむを得ないとはいえ、これもBMW的、日本価格かなァ—-、クーパーSに熱を上げたミニ・ファンの私ではあるが、81歳になった爺ぃには買えそうもない———

 

 その昔、熱を上げたのは32歳だったか。平凡パンチ誌カーデスクに就く寸前の1964年、モンテカルロラリーにちっちゃなFF車ミニ・クーパーSが初優勝したときからだ。その後もモンテカルロではヘッドライトの些細な車両規定違反で失格した1回を含めると、事実上4年連続優勝。ホプカーク、マキネン、アルトーネンら、名ドライバーを輩出した。

 

 ラウノ・アルトーネンとは日産がフェアレディで参戦した際、マシン調整、試走からラリー終了まで約4週間を共に過ごした。モナコの裏、雪と氷の山道で「ちょっと後輪制動力が弱くないか?」と訊かれ、運転を代わったとき、左足ブレーキの使い方を褒められたものの、後輪制動力配分については、正直、よく判らず、恥ずかしい思いをした。モーターファン・ロードテストなどで前後ブレーキ力配分を気にするようになったのは、それ以降である。

 

 ところで。ミニが生まれたのは1959年。オースチンのOEM生産で日産と提携関係にあったBMCが、イシゴニス氏に委ねて開発した。オースチン・セブンと? モーリス・ミニマイナーがこれに当たる。

 

 それまで2気筒エンジン横置きFF設計は、ドイツ車や、それを真似たスズキに存在したが、4気筒を積んだのは世界初—-オイルパン脇にトランスミッション部を配した二階建て構造で、パワー&ドライブプラントの左右寸法を短く収めた。いわゆるイシゴニス方式である。二階建て構造は、後にトヨタ車が真似したっけ。

 

 因みにエンジンからトランンスミッションまで一直線に配したFF設計は1969年に出たフィアット128が最初。設計者の名を付してジアコーサ式と称され、以後、世界中のFF車が「右に倣え」した。代表例が第一次オイルショック直前に発売されたホンダ・シビックであり、VWゴルフである。

 話を戻して。当初850ccだったミニのエンジンは、やがてボアを拡げたり、ストロークを延ばして1L、1.1L、1.3Lに増量。レース界で名を馳せたジョン・クーバーらのチューニングで<クーパーS>に発展する。

 

 初期ミニはサスペンションでも世を驚かせた。

 初めエイボン(と聞いた)、次いでダンロツプに移った技術者モールトン氏がゴム台のサスペンションを開発してミニに組み込んだもの。後に彼はレース用自転車=<モールトン>を生んだことでも有名だ。

 

 これも昔話。若くしてイギリスに居を構えた尊敬すべき同僚=山口京一さんにお供して、モールトンさんの「お城」に伺った。ちょうどシビックが出たばかりで、モールトンさんに乗ってもらったところ「VWゴルフは悪くないけど、シビックは乗り心地なし(NO IDE)だネ」と厳しい評価を頂戴したっけ。

 

 独特のゴム台を持つミニは、たった10インチ径のタイヤしか履いていないのに、しっかりしたグリップ&操縦性と乗り心地を備えていた。アンダーステア傾向が安定して大きい代わり、旋回途中でアクセルを緩めると即、強めのタックインを示し、そこで、すかさず踏み込んで姿勢を外側に向ける—-私にとってFF車コーナリングを学んだ最初のクルマがミニだった。★