最新のGT-Rを見て、スカイライン生みの親 桜井真一郎さんを偲ぶ

〈MondayTalk星島浩/自伝的爺ぃの独り言40〉 まだアルバイト時代の20歳前後、肺結核を患い、1年間、農家の離れを借りて転地療養したのを思い出し、桜台にあるカミさんの実家を訪ねついでに、ちょい遠回りして練馬区上石神井に向かった。なのに、今は店舗ビルやマンション林立で正確な場所さえ判らずじまい。無理もない、60年余の歳月が経っていた。

 

 西武新宿線の駅が近く、多くは都心まで電車を使ったが、天気が良ければラビットスクーター125ccでの往復も苦にならず。甲州街道が混んでいなかったし、途中の立ち寄りにも好都合—-東大名誉教授で明大に研究室をお持ちの富塚清先生、当時、日大助教授でいらした景山克三先生、お二人ともお宅が通り道に近く、原稿など頂戴に伺った。

 

 しかし、なにより甲州街道で印象に残っているのは、荻窪のプリンス自動車(当時)と、2005年に日本自動車殿堂入りなさった桜井真一郎さんである。因みにスカイライン誕生56周年が目前だ。

 

 私がアルバイト期間を経てモーターファン編集部に正式入社したのが1954年。バイクのロードテストや編集雑務、透視図制作を続けつつも、いくらか専門誌記者らしい仕事ができるようになった1957年4月に初代スカイライン発売。初めて開発主査の桜井さんにお会いする。

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                                    初代スカイライン(1958年撮影)

 

 今では考えられないが、当時、桜井さんは確か28歳。私は25歳になったばかりだったが、学齢で2年しか違わないのに、方やスカイライン開発主査、こなた出版社の小僧扱い。彼我の大差に萎縮した。

 

 もっとも太平洋戦争中は最先端技術を誇る軍用機が、おおかた大学を出て数年、25~28歳の航空エンジニアによって開発されたと聞いたし、今もIT産業には多くの若手が輩出しているから、人間そのものの出来や世に出た後の実績は年齢と関係ないかもしれぬ。

 

 日産がオースチン、いすゞがヒルマン、日野がルノーのノックダウンで乗用車生産を志向したのに対し、トヨタとプリンスは自社開発の道を選んでいた。

 

 造るだけならノックダウンは早道だが、基礎研究、設計から試作、走行実験の過程でアイデアや技術を生み出すなど、優れたエンジニアを育てるには遠くなる。神奈川県出身の桜井さんは、近くの日産やいすゞではなくプリンスに就職なさった。

 

 後にグロリアとなるB系セダンのシャシー設計部から、小型寄りA系セダン開発に転じ、ややあってアルプスの美しい稜線に感動して自ら「スカイライン」なるネーミングを決めたと伺っている。

 

 初代モデルにして、それまで例がないド・ディオンアクスルを実用化、デフをバックボーン・トレイ型フレーム側に取り付けたのも画期的なら、その後も内外で初めてのメインテナンスフリーを実現。またしばらく経て後輪を転舵するHICASを組み込むなど、功績は枚挙に暇がない。

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 国内レースを席巻したスカGやGT-Rばかりか、R380を筆頭に、プロトタイプの設計・開発・実戦参加にも積極的に取り組まれた。

 

 まして桜井真一郎さんが偉いのは、日産に吸収された後も、プリンス出身ゆえに「社員章3ナンバー族」の悲哀を味わいながらも、通算32年間、計7代ものスカイライン開発を陣頭指揮なさった実績だ。

 

 世界広しといえど、一人の主査が30年以上も大量生産の1車種を開発し続けた例は桜井さん以外になく、今後もないだろう。

 

 桜井さんを思い出しながら、ふと最近やけに日産がGT-RのPRに力を入れていると気づく。おおかた理由は察しがついている。

 トヨタがハチロク=スバルがBRZを発進させ。専門誌やウェブサイト露出が増えてきたので、危機感? を抱いた日産が「ホンモノはこちらだ」と若者の熱を冷まそうとしたかったんじゃないか? 折しも横浜にあるNISMOの社屋が一新された。

 

 実際、世界ツーリングカー選手権などレース成績も上々だが、かといってGT-Rを喧伝したところで、現行スカイラインセダンの販売が著増するとは考えられず。やはり狙いはトヨタ86&スバルBRZ熱に水を差したかったのと、NISMOの存在感アピールだろう。

 

 そう言えば、昨年ワールドチャンピォンに輝いたレッドブル・ルノーF1チームのメインスポンサーに、北米系「インフィニティ」が就いたそうで、これもルノー&日産のモータースポーツへの関わりがタダモノではないことを内外に訴求したかった証かもしれぬ。

 

 どだいゴーン社長の就任挨拶で「スカイラインが興味深い」とコメントなさったのを憶えている。フェアレディZも古くなってきたことだし、そろそろ新しい「スカG」像が見えてきてもいい時機ではある。

 

 何代目だったかしら。畏れ多くも、桜井真一郎さんを助手席に、首都高サーキットを1周したのも、今は誇らしく、懐かしい思い出です。★