〈MONDAY TALK星島浩/自伝的・爺ぃの独り言17〉 日本を代表する現存スポーツカーは、日産フェアレディZ、マツダ・ロードスターだが、ダイハツ・コペンも独自の存在感を訴えていた。
トヨタ86&スバルBRZが電動オープンを追加すれば、同じく長寿命スポーツに育つ可能性がある。ホンダはNSX後継車開発を明言。案外、スポーツカー輩出時代がくるかもしれない。そんな時期のコペン生産終了は惜しい限りで、ダイハツに新企画があってほしいもの。
2012/9インドネシアモーターショーでダイハツ工業の子会社、アストラ・ダイハツ・モーターにより出品されたD-R。先の2011東京モーターショーで出品されたD-Xとともに、樹脂製ボディスキンを交換してこのカタチにも仕立てられるという提案。2気筒ターボエンジン搭載というがサイズは未公表。これが次期コペンと期待していいのか?
実をいうと私はコペンに格別の親近感を抱いてきた。
発売は10年ちょい前の2002年夏だが、東京モーターショーに参考出品されたのは1999年秋。その名、KOPENだった。
コンセプトカーを一目見て「これはいける!」と直感。
脳裏をかすめたのは時代背景だ。ご記憶だろう。ホンダがミッドシップエンジン後輪駆動のビート、スズキが縦置き3気筒FR設計のカプチーノを相次いで91年に発売。両車、市場で大歓迎されたのは良し。特にホンダは「これは売れる!」と増産ラインを敷設したのに、折悪しくバブル崩壊とその後遺症に遭い、結果5年の短命に終わる。
が、KOPENは違う。21世紀目前で、景気も上向き。ビートとカプチーノの短命は96年発効の軽乗用車新規格に対応できなかったこととも無関係ではない。99年ならダイハツは対応済みだ。ホンダとスズキが当面、諦めた分野だけに、独占人気を得るのではないか?
あたかもダイハツはトヨタから新宮威一社長を迎えていた—-就任直後、ジャーナリスト数名との懇談で「後追いではなく、スズキに先んじて新商品と技術を開発しなければダイハツの明日はない」なんて生意気に進言した手前もある。KOPENは、その先陣に適役ではないか!
私同様、期待する向きが多かったのだろう。KOPENはショー会場で大受け。専門誌が速報記事を載せ、発売を求める声が高まる。ショー終幕近く、私も新宮社長に「ぜひ商品化を」とけしかけた。ゴルフ遊びしながら、前記、時代背景を話したことは言うまでもない。
ただし大量生産を志向すべきではない。少量に甘んじるべし。他車種と混流させるオートメーションにも馴染むまい。手作りで結構。倉庫の片隅に手動ラインを敷き「ベテラン技術者による新入社員研修の場としてもよろしいのではないか」と加えた。
以来2年経過。2001年秋のショー出品車はコンセプトレベルを脱して、生産試作段階に進化し「現在、電動オープンデバイスを煮詰めているところ」と聞かされる。名も軽オープンのKOPENから、コンパクトオーブンを想わせる〈COPEN〉に改められていた。
嬉しくも誇らしい思いは、生産方式の「手作り」採用だ。
実際、正式発売後に見学した際は「倉庫の片隅」どころか、池田工場脇の建て屋内に設けた、短いものの、ちゃんとしたラインで、私のイメージとは大差だったが、社内から上級技能者が選ばれ、若い工員を指導しながらコペンをほぼ手作りで組み立てていた。
むろん全長3395㎜、全幅1475㎜の現行軽規格で全高1245㎜の2シーター。当初は樹脂製デタッチャブルトップとアクティブトップの二本立てだったが、やがて電動油圧式オープンのみとなる。
エンジンは直列4気筒DOHCターボ。5速MTと4速ATが用意された。直4エンジンはスバルにも存在したが、コペンは明らかに高回転・高出力を志向。ただしFFレイアウトやサスペンション、ブレーキなどはダイハツ主力車種と大同小異。タイヤばかりは50%プロフィールの15インチ版が目立っていた。安価ではなかったが、輸出先でも好評で2004年にロンドン市内で見かけた記憶がある。
コペン10thアニバーサリーエディション 生産終了を飾る最後の特別仕様車
今は全車的にパワープラント、足回り、ボディに至る技術を改めつつあるダイハツだ。従来技術が一新されたところで、次期COPENにも期待していいだろう。4気筒が3気筒になるのもやむを得まいが、ミニマム・スポーツとしての存在感を失うことのないように。★