自伝的・爺ぃの独り言・11 <新型ミラージュを前に、三菱500を想う>

【MONDAY TALK by 星島浩】 新型ミラージュ。東京ショー出品から10ヶ月余。ようやく日本で試乗できた—-タイ製はわるくない。昔「ベンツ車で最も品質が高いのは南アフリカ製」と聞いたっけ。従業員が仕事熱心で、タイヤ1本ごとのX線検査まで行うのだと。タイも大同小異だろう。

 全土規模の洪水で、ホンダなど多くの現地組立工場やサプライヤーが被害を蒙り、等しく生産計画遅延が伝えられたから、ミラージュの日本向けにも影響。本来なら需要期の6月に発売したかったはずだ。

 

 およそクルマの狙いは東京ショー出品時点で読めていた。

 全長3710㎜、全幅1665㎜、全高1490㎜。外形はマーチより僅かに小さく、パッソ&ブーン並みか。エンジンも1000cc3気筒はマーチの1200ccではなくパッソ&ブーンと同列にある。

 しかしダイハツ製パッソ&ブーンがトヨタの意向で内外装を上級車に近づけたのに対し、タイ製ミラージュは簡素に仕立てられた。たぶん開発時点で超廉価なインドのタタなどに影響されたんだろう。副変速機付きCVTとの組合せ。低価格と低燃費を強くアピールする作戦だ。

 JC08燃費は27.2㎞/l。むろんデミオの25㎞/lを凌ぎ、ミラ・イースやアルトエコなど軽乗用車に近く、860㎏の軽量が物を言う。

 スタイリングは平凡、というより素直な形の4ドアハッチ。外装は小さすぎるリヤサイドの窓が唯一疑問。内装はVWポロ並み。安っぽくないが、せっかく座り心地に優れる後席にはアシストグリップが欲しい。

 

 出足の一歩はかったるいものの、走り始めたら周囲の流れに沿って快適。軽自動車で3気筒経験が豊富なだけに、マーチと比べても振動・騒音をよく抑えている。開度しだいながら50~60㎞/hでCVTハイレンジに切り替わるが、大きめに踏んだり、強めにブレーキをかける都度、警告音で叱られる。低燃費が売りとあってはやむを得ないか。モード燃費はともかく、実用でリッター18~19㎞は走ると思われた。

 決め手は軽量化だが、手を抜いたのではない。フロアパン全面に高張力鋼板を用いたクルマなんか、寡聞にして記憶なし。

 コーナーではロールがやや大きめ。操縦性は良好。小回り性もわるくないが、切ったハンドルの戻りがよくない。120㎞/h超の高速域は知らず。乗り心地の良さは秀逸。ブレーキ性能も良かった。

 

 しかもマーチより20万円も安く、エアコンとアイドリングストップを付けて軽乗用車並みで買えるのは嬉しい限り—-少なくとも今年前半ではベスト評価したい。対抗馬に挙げられるのはアクアだけだ。

                              

 

 さて、ここで古い話。数えて6代目だが、初代ミラージュは、第一次オイルショックを機に日米欧メーカーが挙ってFF設計に向かった流れに沿い、1978年に生まれた。1200cc横置きエンジン。スーパーシフトと呼ぶ副変速機付き4速×2段MT車を箱根に持ち込み、当時三菱と顧問契約していた望月修さんに教わりながら楽しく走った。

 初め2ドア。ほどなく4ドア追加。カープラザ店オープンがこのときで、排気量は後に1400cc、1600ccにも発展する。

 

  が、最新6代目を前に私が懐旧の念に駆られたのは三菱500—-。

 三菱が量産乗用車生産に乗り出すべく、1959年秋の東京モーターショーに参考出品した。開発途中で伊勢湾台風に遭い、名古屋製作所が冠水して計画遅れが伝えられた点も不思議な因縁と言うべきか。取材は工場の2階。構造透視図と外観清刷りを大急ぎで描いたっけ。

 

 敗戦後の三菱は財閥解体で数社に分割され、中日本重工から新三菱に改まる間に、名古屋でスクーター=シルバーピジョンを。水島で3輪トラックを生産。ホンダのスーパーカブなど実用性に優れたモぺットタイプに押されてスクーター人気が落ちてきた頃と重なる—-通産省(当時)の国民車構想に基づく大衆車開発を目指していた。

 

 全長3140㎜、全幅1390㎜、全高1380㎜、ホイールベースース2060㎜。空冷2気筒4サイクル500ccOHV横置きのリヤエンジン。車両重量590㎏の2ドア4人乗りで、燃料タンクとスペアタイヤを前部に。リヤシート背後に若干の荷物スペースを設けた。

 トランスミッションは3速MTフロアシフトで通常の縦向きではなく横向きH字ゲート。翌60年4月に、39万円で発売される。

 

 因みにトヨタが61年に発売した初代パブリカも国民車構想に基づいて開発。水平対向2気筒空冷エンジンを前に積み、初めFF車を目指すもFRに転身。同じ590㎏。僅かに安い38万円台で売り出したため、三菱500は売れ行き芳しからず。高速道路運用が始まり100㎞/h走行が現実になると、力不足を露呈。ほどなく600ccに増量したものの、方や700ccエンジン、独立したトランクルームを備えたパブリカとの商品力差は明らかだった。やむなく三菱は構想を改め、コルト600を経て、コルト1000に転向を図ったのだが—-。

 

 一方、マツダ、ダイハツに伍して3輪トラックで気を吐いていた水島では、軽3輪商用車をベースに、縦置き2気筒空冷フロントエンジン&リヤ駆動の4輪ライトバンを開発して、軽乗用車ミニカを送り出す体制を整え、三菱500路線撤退を促していた。話が長くなってゴメン。★