日産ノート、ノート メダリストの奇妙な縁とは?【新型ノート】

9月3日に発売された新型ノート。そのトップグレードとなるのがメダリスト(2WDのみで167万4,750円)です。

ノートのフルモデルチェンジに先駆けて2012年6月に生産を終了し、8月に販売を終了したのがティーダです。は2012年6月に生産を終了し、ノートのモデルチェンジに合わせて販売も終了しました。。

C11型ティーダは2004年9月30日に発売されました。登場時は新開発の1.5リッターエンジンHR15DEを搭載していましたが、2005年には1.8リッターのMR18DEを追加。駆動方式は2WDとe-4WD、トランスミッションは2WDにエクストロニックCVT、w-4WDには4ATを組み合わせていました。その他1.5リッター2WDの15Sに4ATを設定し、2008年のマイナーチェンジで1.8リッター車に6MTが追加設定されましたが、いずれも2010年のマイナーチェンジでカタログ落ちしています。
また、ティーダは日産のSHIFT_conpact qualityのコンセプトに基づき、ティアナなどの高級車に負けない質感と居住性を実現させていました。そんなティーダのオーナーを取り込むためのプレミアムグレードと位置づけられたのがノート メダリストというわけです。
メダリストというグレードは、ティアナの前身にあたるローレルのグレードでもありました。その点からもメダリストの位置づけがプレミアムだということを感じさせてくれます。

ちなみにこのティーダ。登場前年の2003年に開催された東京モーターショーでティーダのベースとなるコンセプトカーが展示されたそうなのですが、そのコンセプトカーの名前はシーノート。ノートとティーダの奇妙な縁を感じますね。

なおセダンのティーダラティオは継続で販売。またハッチバックとしては中国向けに2代目ティーダが2011年に登場しています。

 

ところで、ティーダが登場する以前にこのポジションに位置づけられていた日産車といえばサニー、パルサーです。サニーはトヨタ・カローラの対抗馬として1966〜2004年まで9代に渡って販売された日産を代表するコンパクトカー、パルサーは日産初のFF車チェリーの血統を受け継いで1978〜2000年まで5代に渡って販売されました。

1978年に登場した初代N10型パルサー。「ヨーロピアン・パルサー」のキャッチコピーのように、パルサーはヨーロッパ向けのコンパクトカーとしても位置づけられいたため、主力はハッチバックでした。この辺りの思想はグローバルコンパクトカーであるティーダの起源と見てもいいのではと思います。

一方のサニーは、日本と北米を主要市場としていたためかFR時代はハッチバックの設定はありませんでしたが、1981年にモデルチェンジしてFFとなった5代目B11型の登場時にハッチバッククーペを設定しています。余談ですが、B11型とその後継モデルB12型にはローレルスピリットという兄弟セダンが存在しました。

FFサニーでは1.5リッターターボ車のターボルプリも設定されましたが、ハッチバッククーペの名の通り、当時はまだサニーにハッチバックを設定することに躊躇があったのかもしれません。しかし1980年代はマツダ・ファミリアが大ヒットするなど空前絶後のハッチバックブームとなりました。

日産は1982年にパルサーをモデルチェンジしてN12型になりました。このN12型からヨーロッパ向けの車名をサニーと命名し、グローバル的に兄弟車という位置づけになっています。

1983年にはB11型サニーにハッチバックを追加。

ただし当時のボーイズレーサーを意識したのか3ドアのみの設定で、同時にハッチバッククーペは廃止されました。

1985年にサニーはモデルチェンジしてB12型、通称トラッドサニーとなりました。ハッチバック車も最初から設定されましたが、やはり3ドアのみの設定となっています。

当初は1.3/1.5リッターNAとターボのみの設定でしたが1986年に1.6リッターツインカムを追加設定。また専用エアロやメーターを装備したツインカムNISMOなども設定されるなど、ますますスポーツ色が強いクルマでした。1987年のマイナーチェンジでターボを廃止。サニーのハッチバックはこのB12型がモデルチェンジされる1990年で一旦消滅しました。

1986年、パルサーも3代目N13型にモデルチェンジ。ターボ車は廃止され、トップエンジンはツインカムに一本化。ヨーロピアンをより強く意識したデザインで日本カーオブザイヤーを受賞しています。

なおN13パルサーハッチバックにはラングレーとリベルタ・ビラという兄弟車がありました。

1980年代後半は5ドアハッチバック車の販売台数が減少傾向にありました。そのため1990年にモデルチェンジしたN14パルサーでは5ドアハッチバックが消滅しています。その一方で世界ラリー選手権ベース車のGTI-Rというモンスターマシンが設定されました。

なおパルサーの兄弟車だったラングレー、リベルタ・ビラもこのモデルチェンジでパルサーに統合されました。

日本ではすっかり不人気車となった5ドアハッチバック車へのテコ入れが各メーカーで行なわれていましたが、日産もパルサー5ドアセダンを設定。

しかし、ライバル車同様販売的には成功することができませんでした。

1995年にパルサーがN15型にモデルチェンジして3ドアハッチバックのパルサーセリエを設定。

同時期に兄弟車としてB15型サニーにルキノ・ハッチが追加設定されました。

5ドアハッチバック車はRV風にアレンジしてセリエSR-VやルキノSR-Vとして販売。パルサーは後に5ドアも追加されましたが、2000年に日本での販売を終了。一方のサニーは1998年にB15型へモデルチェンジした際に4ドアセダンに一本化されていますので、サニー/パルサーの血統は実は4年ほど途絶えています。ただしこれは国内販売での話で、海外仕様ではN16型パルサーが存在(日本名ブルーバードシルフィ)、その後継車としてティーダが登場した国もあります。

一方、ノートの初代モデルE11型はホンダ・フィットの対抗馬として2005年1月から販売を開始しました。

1.5リッターエンジン一本で登場し、2008年に1.6リッターエンジンを追加。

そして今回のモデルチェンジで2代目のE12型となりました。

E12型ノートはエンジンのダウンサイジング化を敢行し、1.2リッターNAエンジン搭載の2WD、4WD車と、1.2リッター高効率スーパーチャージャーエンジン搭載の2WD車がラインナップされ、カスタ ムカーのライダーとプレミアムグレードのメダリストを含めて全9グレードを124万9,500〜179万8,650円で販売しています。

ところで歴代ノートの型式はE11型、E12型なのですが、日産の初代モデルとして通常与えられるE10型が存在しません。その理由はE10型が初代チェリーとして存在していたからです。

チェリーは後にパルサーへ受け継がれたポジション。そしてE10型。ノート、ティーダ、サニー、パルサー、チェリーには奇妙な縁があるのかも知れませんね。
(ぬまっち)

この記事の著者

ぬまっち(松沼 猛) 近影

ぬまっち(松沼 猛)

1968年生まれ1993~2013年まで三栄書房に在籍し、自動車誌、二輪誌、モータースポーツ誌、鉄道誌に関わる。2013年に独立。現在は編集プロダクション、ATCの代表取締役。子ども向け鉄道誌鉄おも!の編集長を務める傍ら、自動車誌、バイク誌、鉄道誌、WEB媒体に寄稿している。
過去に編集長を務めた雑誌はレーシングオン、WRCプラス、No.1カーガイド、鉄道のテクノロジー、レイル・マガジン。4駆ターボをこよなく愛し、ランエボII、ランエボVを乗り継いで、現在はBL5レガシィB4 GTスペックB(走行18万km!)で各地に出没しています。
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