熊本のドライブスポット・天草の2大天主堂【車中泊女子の全国縦断記】

「天草」と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか?
南国ちっくな海で海水浴、イルカウォッチング、フィッシング、温泉、グルメ…

しかし、何といっても天草四郎でしょう(!?)。
隠れキリシタンの歴史が深い天草の島々、その中でも特に有名な天主堂を2つご紹介します。

キリシタン資料館『ロザリオ館』
キリシタン資料館『ロザリオ館』

まずは『大江天主堂』へ向かいます。
天主堂前の駐車場は狭いので、大型車は手前の資料館『ロザリオ館』駐車場に停めて、小高い丘をえっちら登って行くことになります。
『ロザリオ館』では天草におけるキリシタンの歴史や遺物(経消の壷、マリア観音、踏絵、高札、かくれ部屋など)約300点を展示しているのですが、残念なことに、わたしが訪れた日は水曜日で定休でした。
入館料は大人320円、高校生210円、小中生100円です。

 

 

『ルルドの泉』レプリカ
『ルルドの泉』レプリカ

坂を登って行くと、教会のすぐ下あたりに『ルルドの泉』を再現した? 小さな水場に聖母マリアと少女ベルナデッタの像があります。
『ルルドの泉』とは、1858年2月11日、フランスのピレネー山脈のなかほどにある小さな村・ルルドの洞穴の中に聖母マリアが出現したという“奇跡”の逸話です。
聖母マリアがベルナデッタに洞窟の岩の下の方へ行くように指差したところ、泥水が少し湧いてきており、次第にそれは清水になって飲めるようになった、といいます。
その場所はカトリックの巡礼地として有名で、年間約500万人もの人が訪れているそうです。

 

 

 

 

大江天主堂
大江天主堂

ちょうど、その上あたりに大江天主堂が建っています。
大江天主堂は今でこそロマネスク様式で白亜の美しい教会ですが、伝道に生涯をかけたガルニエ神父によって昭和8年に建てかえられたものです。教会建築で著名な鉄川与助が設計施工しています。

 

内部の拝観は自由(月曜日は休館、日曜の礼拝時は見学不可)なのですが、撮影は禁止です。
礼拝堂にはド・ロ神父の布教活動のための版画5枚が飾られています。
余談ですが明治40年(1907)に北原白秋、与謝野鉄幹、木下杢太郎、平野万里、吉井勇がガルニエ神父を訪問しています。このときの紀行文『五足の靴』の反響も大きかったようです。

﨑津の漁師町
﨑津の漁師町

2つめの天主堂は、大江天主堂から車で約10分ほど、狭〜い漁師町の中に佇むゴシック様式の『﨑津天主堂』です。
道幅も狭ければ駐車場も小さいので、停められるかどうかは運次第かも知れません。

 

天草におけるキリスト教は﨑津から広まったといわれています。
﨑津教会は、島原や天草でキリスト教を最初に布教したルイス・デ・アルメイダ神父により永禄12年(1569)に建てられました(現在の﨑津天主堂を改築したのはハルプ神父)が、その後の禁教で激しい弾圧に見舞われ、明治5年(1872)に禁教令が廃止されるまでのおよそ250年間も“隠れキリシタン”となって代々、信仰を繋いできた歴史があります。

 

﨑津天主堂
﨑津天主堂

ここは、元々は庄屋屋敷だったそうです。
その庄屋屋敷ではかつて踏み絵が行われており、そんな当時のキリシタン達に報いるため、踏み絵を行った場所のちょうど上に祭壇がおかれるよう設計されているのだとか。

 

こちらも鉄川与助の施行です。後部は木造、内部は珍しい畳敷き! 残念ながらこちらも撮影は禁止なので、想像してみてください。
(月曜日は休館、日曜の礼拝時は見学不可)

教会を中心とした﨑津の漁村景観は、平成8年『キリシタンの里 﨑津』として『日本の渚百選』に選ばれ、平成13年には『河浦 﨑津天主堂と海』として『日本のかおり風景100選』に、平成23年には『重要文化的景観』にも選ばれています。

ちなみに天草=天草諸島(天草上島・天草下島・下須島・御所浦島・横浦島などなど)は、宇土半島の先端にある三角(みすみ)〜大矢野島〜永浦島〜池島〜前島〜天草上島まで天草五橋(あまくさごきょう)で繋がっています。
この別名『天草パールライン』は『日本の道100選』にも選ばれていて、橋からの眺望も素晴らしいですよ。

(松本しう周己)

【リンク切れ、画像がすべて見られない方は】https://clicccar.com/2011/09/29/65505

この記事の著者

松本しう周己 近影

松本しう周己

高校は美術科を卒業し、印刷会社のデザイン部に就職するも2年足らずで退職してフリーターに。主にコンサート・イベント関係で全国を駆け回る。その後、なぜかウェブデザインの道へ。仕事としては車との接点はまったくないが旅行好きでドライブ好き、20年前から道の駅などで車中泊していた。
「ネットを通して仕事ができれば、どこにいても構わないのでは」と、2005年、ついにキャンピングカーを自宅兼仕事場としてしまった。根は機械オンチなため、日進月歩の日々。
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