クルマ旅ならではの避暑、山形県米沢市『上杉神社(松が岬公園)』へ【車中泊女子の全国縦断記】

上杉神社
大正8年(1919)の大火で全焼、伊東忠太の設計により現在に残る社殿が再建されました。

山形県米沢市にある上杉神社(松が岬公園/米沢城址)へ立ち寄りました。
それというのも地図をふと見たら『上杉神社』の文字が目に入り…
「そうだ! 有名な神社なら敷地が広くて鎮守の森もあるだろうから涼しいに違いない!」という、まったくけしからん動機で…。

 

上杉謙信が天正6年(1578)に越後春日山城で急死した際、遺骸は城内の不識庵に仏式にて祭られましたが、次代の上杉景勝が会津藩を経て慶長6年(1601)米沢藩へ移封されたのに合わせ、謙信の祠堂も米沢に遷されました。

以後、米沢城二の丸の法音寺を主席とする11ヶ寺が交代で祭祀を執り行ってきたのですが、明治に入ると神仏分離令、廃城令などにより、謙信の遺骸が城内から上杉家廟所(公園から約1km)に移され、その守護のために法音寺も廟所前に移転したそうです。

主祭神は上杉謙信公であるにも関わらず、NHK大河ドラマ『天地人』の影響か、何となく公園内は直江色が強い気がします。
それから、「為せば成る、為さねば成ならぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり。」で有名な上杉鷹山は江戸時代後期の米沢藩第9代藩主で、同公園内の松岬神社に祀られています。

米沢藩では奸臣と見なされていた直江兼続の200回忌法要に香華料を捧げたということから、一転して兼続が称揚されるようになったそうです。
つまりは鷹山が兼続を再評価したことによって『天地人』ができあがったということですね!?

米沢城は12世紀に長井氏によって築城されて以来、長井→伊達→蒲生→上杉氏の居城でした。
今や公園となり、市民の憩いの場、桜の名所になっております。
もうすぐハス池も見頃をむかえそうですよ。

(松本しう周己)

【リンク切れ、画像がすべて見られない方は】https://clicccar.com/2011/07/19/43904

この記事の著者

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松本しう周己

高校は美術科を卒業し、印刷会社のデザイン部に就職するも2年足らずで退職してフリーターに。主にコンサート・イベント関係で全国を駆け回る。その後、なぜかウェブデザインの道へ。仕事としては車との接点はまったくないが旅行好きでドライブ好き、20年前から道の駅などで車中泊していた。
「ネットを通して仕事ができれば、どこにいても構わないのでは」と、2005年、ついにキャンピングカーを自宅兼仕事場としてしまった。根は機械オンチなため、日進月歩の日々。
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