仙台の友人宅で震災を考える【車中泊女子の全国縦断記】

鳥の海
在りし日の『鳥の海』

またしてもご無沙汰しておりました。
栃木でのキャンピングカー修理の後、茨城に住んでいる知人から「那須で避暑キャンプするけど、ご一緒しない?」とお誘いを受けて珍しく高規格キャンプ場に1泊。
その後、毎年お世話になっている仙台の友人宅に3泊、同じく仙台のキャンピングカー仲間さんの職場に2泊させていただきました。

友人は、亘理町で働いていました。
震災後、まったく連絡がつかずテレビからは巨大な津波が亘理町を飲み込んでいる映像が毎日のように流れていたのですが、無事を信じて待つしかありませんでした。
その間、友人はどうしていたかというと職場までは津波が到達しなかったらしく、急いで車で内陸方面の柴田町にある自宅に帰ったそうです。
自宅は色んなものが倒れたりはしましたが無事で、美容室も兼ねているのでガスボンベがあり、食料は買い込んだばかり、水も普段からストックしてあったので一家5人+愛猫みんな食には困らずに済んだとのこと。
ただ停電していたので夜は蝋燭で過ごし、お風呂にも入れず、ファンヒーターも動かず。
翌日に届いた新聞(それも凄い)の一面を見るまでこれほどの大災害だったとは知らず、電気が復旧してテレビをつけたら津波の映像… そこで「えらい事が起こった」と実感したそうです。

震災があった3月11日は、九州でもケータイの電波が<圏外>になったくらいで、電話はまったく通じませんでした。
連絡がついたのは、友人宅に電気が復旧した約1週間後。
友人は車のシガーソケットから充電できる充電器を持っていたのですが、今度はガソリンの給油ができない事態が続いたので節約のために断念。
もちろんインターネットも繋げられず、毎日届けられる新聞とラジオが情報源だったようです。

震災による精神的な影響も大きく、あんまり出歩く気分にもなれなかったとか。わたしが来たので、はじめてショッピングモールに行こうと思い立ったそうです。
今でも毎日のように小さな余震が続いていて、その度にドキっとするのがつらいところですが、慣れたり油断せず、これを教訓に準備を怠らないようにしないとな、と心を新たにしました。

ちなみに出発の日、何故かわたしがお米をお土産にいただいてしまいました。
友人のお母さんに「立場が逆じゃないですか!」って言ったら、「何が起こるか分からないから、念のために持って行きなさい」と。
うちのキャンピングカーは水もガスもあるしソーラーで充電もできるけど、リッター4〜5kmしか走らない大飯喰らい。
もしまたガソリンの供給が滞ったら動けないので、食料の備蓄をしておくのは大切ですね。

いろいろ考えさせられる1週間でした。

(松本しう周己)

【リンク切れ、画像がすべて見られない方は】https://clicccar.com/2011/07/01/38590

この記事の著者

松本しう周己 近影

松本しう周己

高校は美術科を卒業し、印刷会社のデザイン部に就職するも2年足らずで退職してフリーターに。主にコンサート・イベント関係で全国を駆け回る。その後、なぜかウェブデザインの道へ。仕事としては車との接点はまったくないが旅行好きでドライブ好き、20年前から道の駅などで車中泊していた。
「ネットを通して仕事ができれば、どこにいても構わないのでは」と、2005年、ついにキャンピングカーを自宅兼仕事場としてしまった。根は機械オンチなため、日進月歩の日々。
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