自動車関連業界の方に被害状況を直接聞きました【東北関東大震災】

自動車業界関連のかたで、被災されたかたから直接お話を伺うことができました。

株式会社ミヤマ(宮城県仙台市宮城野区扇町1−5−6 TEL:022-283-0380)の嶺岸巌さんです。

ミヤマさんはプリウス用ホイールやLEDライティング商品、メッキドレスアップパーツなどを販売される会社です。

3月11日(金)は平日です。通常通り営業していたところ、太平洋宮城県沖地震による揺れは、ミヤマの社屋も大きくゆらしたそうです。その揺れは立っていられないほどで、5分間くらいは続いたそうです。

ショールーム内の商品はすべて倒れ落ち、倉庫の商品も崩れ落ちたそうです。ホイールなどの検品はまだだそうですが、おそらく数個は傷つくなどの被害があったのではないか、とのことでした。

灯油のタンクなどは、「注意書き」を書いていないと、こじ開けられる可能性があるとのこと。まだまだ燃料の供給は戻っていません。

大きな被害は建家の基礎が割れてしまい、遠くから見ると建物としては壊れてないように見えますが、このまま使い続けるのは困難な状況。

建家を持ち上げて基礎を修理することもできるかも知れませんが、相当なコストがかかるらしく、近くの土地に新たに建て直すことを検討しているそうです。

とはいえ、現状ではこれまで通りの営業ができているとのこと。

ただ、3階部分の倉庫に使用していた部分には知人が3名ほど避難して仮住まいしているそうです。一時は避難所に居たそうですが、しばらくすると入所者間でトラブルなども見かけたそうです。例えば、朝、目が覚めると、自分の区画に毛布が5cmはみ出したとかしないとか。やはり、大変な状況で正常な心はそうそう保てるものではありません。それならということで、嶺岸さんが会社に呼んだとのこと。こうしたお知り合いが居る場合はまだ助かりますね。

避難している人たちは、命が助かった、食べ物が支給されだした、といった時期を乗り越え、いつになったら元の生活に近づくのか、ある意味、考えることがやっとできはじめると、不安や精神的苦痛がともなってくるのでしょう。被災直後に限らず、この災害が歴史上のものになるまで、これからも我々は被災された方にできることがないかを考え続けて行くべきと思いました。

(小林和久)

この記事の著者

編集長 小林和久 近影

編集長 小林和久

子供の頃から自動車に興味を持ち、それを作る側になりたくて工学部に進み、某自動車部品メーカへの就職を決めかけていたのに広い視野で車が見られなくなりそうだと思い辞退。他業界へ就職するも、働き出すと出身学部や理系や文系など関係ないと思い、出版社である三栄書房へ。
その後、硬め柔らかめ色々な自動車雑誌を(たらい回しに?)経たおかげで、広く(浅く?)車の知識が身に付くことに。2010年12月のクリッカー「創刊」より編集長を務める。大きい、小さい、速い、遅いなど極端な車がホントは好き。
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