祝・OPT300ZX耐久レース初参戦!! さて、その結果は?・その6【OPTION 1985年7月号より】

苦節ンヵ月! ようやくOPTION 300ZXの富士1000km耐久レース初参戦となりました。HKS、東名自動車、横浜ゴム、NISMO、そしてgainsのスポンサードを受け、恐れ多くも日本を代表するチーム&レーサーに混じり、FISCOのスターティンググリッドに並んだはいいけれど……。ってことで、その戦いぶりをご覧ください! まずは概要と、ドライバーの声をドーゾ。

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<OPT300ZX耐久レース計画>
富士1000kmレースなぐり込み
我れ、チューンドカーでかく戦えり

結果はビリだった。それでもOPTは公約どおり、チューンドカーの意地を見せたのだ。激闘の末、完走13台の中に入った。LD2クラスでも5位になり、賞金6万円也。プロのチームにはお邪魔でしたが、どうもありがとうございました。

「なんとでも言えよ。オレが一番悪いんだから。やっぱラジアルじゃ無理だったな」と、Daiがつぶやく。

コーナーも、直線の終わりのストレートでも、細い市販ラジアルではパワーをかけられないし、ブレーキを踏んでもすぐロックする。

しかし、Daiの企画に理解を示してくれたゲインズのスポンサーのもと、OPT300ZXはストリート仕様の発展型のまま、気の遠くなるような周回を重ねている。主役のグループCカー群にぶっち切られる姿が痛々しい、過酷な国際格式の耐久レースを走破しているのが夢のようだ。

新型フェアレディ300ZXとVG30ET型のレースデビューは我がOPTが果たした。それもVGエンジンはHKSのボルトオン・スーパーターボ仕様だ。レース用パーツが無いから、クランクシャフトもノーマル加工で300ps以下、どこまでもつか。ボディは東名自動車のドレスアップキット(輸出用)、サスペンションもNISMO製が間に合わず、市販強化品を加工しての出場だ。

そして、レースで一番重要なタイヤに、あえてヨコハマの輸出用市販ラジアルを選んだのだから、関係者がア然とするのも当然かもしれない。

「何と言われてもやるんだ。ストリートチューンドカーのスタイルでどこまで走れるか。耐久性はどうか。オレたちはプロのチームじゃない。1回だけ、このままやらせてくれ。そうでないと意味がない」こう叫ぶDaiも、祈るような気持ちでピットをウロウロする。

しかし、OPT300ZXはビリだったが完走してしまったのだ。タイヤ無交換、ブレーキパッド無交換。HKSターボも6000rpmに抑えての走行だったが、ノントラブル。市販チューニングパーツの勝利である。が、このままで本格的なレースが不可能なことも分かった。

「ドライバーや関係者のみんなには迷惑かけてしまってスミマセン。でも、こんな無茶な計画は今回限り。次からは本格的なマシンを作る」。Daiはこう宣言した!

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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