日本初の量産乗用車を作ったのはナント「三菱造船」。104年前に22台だけ生産された「三菱A型」【歴史に残る車と技術002】

■受注生産でなく、見込み生産した日本初の量産乗用車

1919年に生産された三菱A型(レプリカ)。すべて手作りの国産品で作られた7人乗りガソリン乗用車
1919年に生産された三菱A型(レプリカ)。すべて手作りの国産品で作られた7人乗りガソリン乗用車

1919(大正8)年、陸軍の要請に応じて、三菱造船の神戸造船所が量産乗用車「三菱A型」を生産しました。すべて手作りの国産品で作られています。

受注を受けてから生産するのではなく、わずか22台の少量ながら「見込み生産」を行ったことから、日本初の「量産乗用車」と位置付けられています。


●ガソリン自動車の発明と三菱A型誕生までの道のり

1886年、カール・ベンツとゴットリープ・ダイムラーが、ほぼ同時期にガソリン自動車を発明しました。1895年には、パリとボルドー間で世界初の自動車レースが開催されるなど、自動車は徐々に注目されて普及するようになりましたが、あくまで富裕層の乗り物でした。

手の届かなかった自動車を誰でも手に入れることができる存在にしたのは、1908年に「T型フォード」でベルトコンベア方式の大量生産に成功したヘンリー・フォードです。

日本では、1907年にガソリン自動車「タクリー号」が製造されましたが、部品はすべて米国製でした。純粋な国産車は1914年に製作された日産自動車の前身の快進社「ダット号」ですが、まだ量産と言えるレベルではなく、その5年後1919年に、日本初の量産乗用車として「三菱A型」が登場したのです。

●陸軍の要請で誕生/中止した三菱A型

三菱A型を生産した三菱造船(三菱重工の前身)が創立されたのは、1917年のこと。この時、陸軍からガソリン乗用車の生産要請を受け、1918年末に三菱造船の神戸造船所で三菱A型が完成。1920年には三菱内燃機が設立され、生産はここに移管されました。

三菱内燃機は、もともと航空機を製造する会社であり、車よりも航空機製造が重視されるようになって、三菱A型は1921年に製造を中止しました。

1919年に生産された三菱A型。すべて手作りの国産品で作られた7人乗りガソリン乗用車
1919年に生産された三菱A型。すべて手作りの国産品で作られた7人乗りガソリン乗用車

当時の日本は大正時代ですが、前半は第一次世界大戦中の輸出産業の活況で日本は空前の好景気に。しかし、戦争が終わった1920年には、過剰生産によって金融恐慌が起こって一気に不景気になりました。

そのような中、日本は海外に目を向けて、富国強兵策のために軍事力強化を図ったのです。

島国の日本は、軍艦や戦闘機の開発に注力し、車の開発は二の次になりました。ちなみに余談ですが、10年ほど前にヒットしたスタジオジブリのアニメ映画「風立ちぬ」の主人公のモデルとなっていた、戦闘機のゼロ戦を設計した堀越二郎氏は、1927年に三菱内燃機名古屋製作所に入社しています。

●少数ながら見込み生産・販売されたことで、国内初の量産乗用車の栄誉に

三菱A型はフィアットの「A3-3型」を手本として、まず参考車を分解、スケッチするところから始め、すべて手作りの国産品で製作されました。ボディは、木製のフレームに鉄板を貼り、車体枠はハンマーによる打ち作りで黒うるし塗りが施され、車室は馬車製造の経験者の手を借り、大形の木材をくりぬき、室内には高級な英国製の毛織物が使用されました。

三菱A型のスペック
三菱A型のスペック

ヘッドランプはガス燈、ホーンはラッパ、最高出力35PSの2.7L直4 OHV(側弁式)水冷4サイクルエンジンをスチール製のラダーフレームに搭載。4速MTのFRで7人乗り、ホイールベース約2.7m、車重1315kgで、最高速度は25~32km/hと記録されています。

最高出力と車重の関係からは、もう少し最高速度が出てもいいように思いますが、何か大きな走行抵抗になるような要因があったのかもしれません。

三菱A型は予想以上にコストが掛かり、また航空機の生産に主力を移すという事情もあって、1921年までにわずか22台で生産中止となりました。少数生産ですが、まとまった数量を見込みで生産・販売したことで、日本初の量産乗用車という栄誉に輝いているのです。

●スバル、BMW、ロールス・ロイスも元は航空機系だった

三菱重工のように、元々航空機や航空機用エンジンを作っていたメーカーが、自動車メーカーに転身して成功したケースは多いです。

富士重工業(現在のスバル)の起源は、1919年に創立された「中島飛行機製作所」です。終戦とともに飛行機の生産を止め、戦後1953年にその中枢が富士重工業を設立。名車「スバル360」の開発の指揮を執ったのは、中島飛行機出身の百瀬晋六で、航空機技術をベースにスバルの礎を築き上げました。

海外では、BMWは航空機用エンジンの製造で創業、そのエンジンのもとになったのはダイムラーのエンジンです。ガソリン車を発明したゴットリープ・ダイムラーは、車だけでなく航空機や船用エンジンにも挑戦し、陸・海・空を制する意味を込めて“スリー・ポインテッド・スター”というメルセデス・ベンツのエンブレムが出来上がったのです。

英国のロールス・ロイスは、ガソリン車で創業しましたが、第一次世界大戦で航空機エンジンも開発・製造。イタリアのフィアットも第一次世界大戦前後には航空機やそのエンジンを作っていました。

皮肉なことですが、一時代的とは言え戦争が車の発展や技術進化に大きく貢献したのです。

三菱A型も、航空機や造船の技術者が作り上げた傑作、日本の自動車技術の歴史を変えた車であることに、間違いありません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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