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■70年代少年の必須アイテム「スーパーカー消しゴム」
カーヒストリアン・越湖信一さんが今回タイムトラベルするのは、スーパーカー少年熱狂の時代。かつて彼らを夢中にさせたとあるモノに焦点を当てて、あの喧騒を振り返ります。
そう、日本の学校中に一大センセーションを巻き起こした「スーパーカー消しゴム」の世界へ、我々を連れていってくれるようです。
●「サーキットの狼=ブームの火付け役」説は本当か?
“スーパーカー消しゴム”。
この単語に大きく反応するのは、まぎれもなき昭和世代の皆様でしょう。
1970年代後半に小学生から中学生時代を過ごした日本全国の子どもたちは、スーパーカーブームの洗礼を受けました。この“スーパーカー世代”にとって、フェラーリやランボルギーニなどのモデル名を知っているのは当然で、メーカー公表の最高速度や最高出力からエンジン形式などまで、学校の勉強とは違った情熱で暗記したものです。
スーパーカーブームは、池沢さとし作『サーキットの狼』の週刊少年ジャンプ連載がきっかけとなって生まれたとされています。誰もが、ロータス・ヨーロッパに憧れ「スタビライザーを打った」などというフレーズを得意げに使ったものです。
しかし本当のところ、何がこのブームに火を付けたかはよく解っていません。そもそも『サーキットの狼』は、メジャー誌の連載としては当初それほどの盛り上がりはみせていなかったようです。
大人ですら知っている者は少ないマイナーな外車など、子どもたちにとってはまったく馴染みがなかったワケですから、それを主人公としてしまったのはかなりの冒険です。『サーキットの狼』の連載を決断した編集者は相当な先見の明があったか、それとも何も考えていなかったか(失礼)のどちらかだと思うのです。
●「イオタ? 何それ?」
世界中の自動車メーカーの広報マンたちは、日本人にクルママニアが多いこと、そして細かなスペックや技術用語などをよく理解しているということに感心しています。彼らはその理由を日本人の几帳面な性格に由来するなどと考える向きがありますが、それは大きな間違いです(たぶん)。
本当のところ、日本にスーパーカー世代が広く存在し、彼らがクルマのうんちくに関する知識量を競い合うことに生き甲斐を感じていたという習性を身につけていたことが、その大きな理由でしょう。
北米やヨーロッパにもクルマに対する情熱や知識を持っている人はもちろん存在しますが、スーパーカーに関する知識量は日本人とは比較にならないレベルです。カウンタックなんていうモデル名を知っている人は、実はかなりレアだったのです。ここだけのハナシ、ランボルギーニ社の人間ですら、「あのイオタ、そう、ミウラ・イオタ(このように表現する場合が多い)の事だけど」などと話題にしても、「何それ?」なんていう気の抜けた返事が返ってきたりするのです。我らスーパーカー世代にとって神のようなイオタですが、一般的にはそんなもんなのです。
●フェラーリやカウンタックが身近な存在に
さて、ハナシを戻しましょう。筆者は日本でスーパーカーブームが大流行したきっかけを作った大きな要因は、スーパーカー消しゴムの登場ではないかと考えています。
連載マンガに関する便乗商品は当時、とても盛んでした。スーパーカーが印刷してあるジュースの王冠の裏、めんこやカード、お菓子など、ありとあらゆるアイテムが登場しました。
そんな中で生まれたのが、スーパーカー消しゴムです。駄菓子屋さんの“ガチャガチャ”に20円を入れると出てくるカプセルの中に潜んでおり、カウンタックや512BBなどはアタリ、地味なインディなどが出てくると外れ…とされたりもしました。
このスーパーカー消しゴムのどこにそんな破壊力があったのでしょうか? それは建前上、消しゴム=“文具”という属性を備えていたというのがその答えです。子どもたちは大手を振って筆箱にしのばせて学校へ持っていくことができたのです。
休み時間になると教室の机はサーキットと化し、その消しゴムをボールペンのボタンで弾いて走りを競い合う(単にぶつけ合って机から落とすだけですが)醍醐味にハマったワケです。
そもそも、スーパーカー消しゴムはワケのわからない樹脂で出来ており、消しゴムと名乗りながらも、一字たりとも鉛筆で書いた文字を消してくれない代物でありましたから、文具と語るには語弊があったのですが…。
しかしスーパーカー消しゴムの登場で、遠い世界にあったフェラーリたちも子供心に何か身近なものとなってきたのは間違いありません。
憧れのカッコいいスポーツカーを脳内に描きながら一心不乱にボールペンのボタンで弾くことによって、スーパーカーブームの地位は確固たるものになっていったのではないでしょうか。
次回はこのスーパーカー消しゴムブームが密かに復活しているというビッグニュース(笑)をお伝えしましょう。(続く)
(文&写真:越湖 信一)