日産の「2代目シルビア」が7年ぶりの復活を果たす。アメ車風デザインに変貌も人気モデルにはなれず【今日は何の日?9月7日】

■セリカを意識したスペシャリティカーを目指した2代目シルビア

1975(昭和50)年9月7日、7年の空白を経て日産自動車の「シルビア」(S10型)が復活しました。1965年にデビューした初代のシルビア(CSP311型)は、美しいデザインで評価されたものの、価格が高かったために僅か3年で販売を終了。7年のブランクを経て登場したのが、スペシャリティカーの2代目シルビアです。

1975年にデビューした2代目シルビア。アメ車風のスタイリングに変貌
1975年にデビューした2代目シルビア。アメ車風のスタイリングに変貌

●走る宝石と呼ばれた初代シルビア

初代シルビアは、1964年の東京モーターショーで「ダットサン・クーペ1500」として展示され、翌1965年からシルビアの名で発売されました。

1965年にデビューした初代シルビア。クリスプカットと呼ばれた流麗なボディが評判に
1965年にデビューした初代シルビア。クリスプカットと呼ばれた流麗なボディが評判に

デザインは、当時BMWなどのデザインで有名だったドイツ人デザイナーのアルブレヒト・フォン・ゲインが担当。シルビアには、最先端の流体力学が取り入れられ、ボディパネルの継ぎ目を極力廃した上でガラス類には曲面タイプが採用されました。さらに、鋭角的に削ぎ落したクリスプカットと称するボディラインは、他に類を見ない流麗なデザインでした。また、インテリアもソフトな発砲レザーを用いるなど高級感が演出されました。

しかし、課題はボディの製造工程でした。その美しいボディを成形するためにハンドメイドの部分が多く、そのために価格が上昇し販売数は限定的でした。

●人気のセリカの対抗馬になれなかった2代目シルビア

2代目シルビアの美しいリアビューも、人気は獲得できず。
2代目シルビアの美しいリアビューも、人気は獲得できず

そして1975年、初代シルビアの生産終了から7年後、2代目シルビアが復活しました。

直線的なフォルムの初代に対して、曲線を多用した躍動感のあるアメ車風フォルムに変貌。スタイリングは大きく変わりましたが、もともと目標生産数が少なかったことから、コスト低減のため積極的に部品流用を行いました。

エンジンは、「ブルーバードU」の1.8L直4 SOHCエンジンを搭載、プラットフォームや足回りなども「サニー」系をそのまま流用。その分、外観の大胆な変貌の割には、メカニズムに先進性が感じられず、性能面で際立った特徴がアピールできませんでした。

2代目シルビアは、当時スペシャリティカーとして人気を博していたトヨタの「セリカ」に対抗するために登場しましたが、期待通りに人気を獲得できず、セリカの勢いを脅かすような存在にはなりませんでした。

●3代目以降は人気を獲得して、5代目でデートカーとして人気モデルに

1988年にデビューした5代目シルビア。デートカーとして人気モデルに
1988年にデビューした5代目シルビア。デートカーとして人気モデルに

2代目の反省を踏まえて、斬新なデザインと先進的な装備を満載して登場した3代目および4代目シルビアは、若者の人気を獲得してセリカと肩を並べる人気モデルへと成長しました。

そして、バブル景気とともに1988年に登場した5代目は、ホンダの「プレリュード」とともにデートカーを代表するモデルとして、一世を風靡。デートカーとは、男性がデートに使うために好んで選んだ、女性に人気のあったクルマです。当時は、男性だけでなく女性もカッコいいクルマに乗りたいという願望が強かったのです。


2代目シルビアはヒットモデルとは言えませんでしたが、シルビアは代を重ねて日産を代表するスペシャリティカーへ成長しました。日産のラインナップからシルビアの車名が消えて20年経ちますが、デートカーという言葉とともに必ず取り上げられる名車です。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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