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■日本初の原子力の火がともる
1957(昭和32)年の8月27日、茨城県東海村の日本原子力研究所が、「JRR-1 ウォーターボイラー型原子炉1号」の臨界実験に成功して研究用原子炉に火がつきました。これによって、アジアではインドに次いで2番目の原子炉稼働国となり、日本の原子力時代が幕を開けました。現在、この原子炉は運転されておらず、密閉管理した状態で「JRR-1記念展示館」として公開されています。原子力の平和利用に期待が集まりましたが、現在は原子炉の安全性や放射性廃棄物の処理などが問題視され、脱原発への動きもあります。国によって方針が違うのが現状ですね。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
●東京都が「ディーゼル車のNO作戦」宣言!
1999(平成11)年のこの日、東京都は大気汚染の発生源とされていたディーゼル車について、都内での不売買や不使用などを盛り込んだ「ディーゼル車NO作戦」を開始すると発表。当時の石原慎太郎知事は、排気ガスから排出されたと思われる黒い粒子が詰まったペットボトルを見せて「ディーゼル車を東京から駆逐する」と宣言しました。実際の規制は、2003年から始まり、基準を満たさないディーゼル車は都内の通行ができなくなりました。それに連動するように、政府は2009年に当時世界で最も厳しい「ポスト新長期規制」を施行。このような逆風の中、多くのメーカーは、技術革新によってポスト新長期規制をクリアしたディーゼル車を市場に投入しました。しかし、ディーゼル乗用車についてはコスト高などの課題があり、シェアは思うように伸びませんね。
●トヨタの2代目スプリンターにセダン登場!
1971(昭和46)年のこの日、トヨタの2代目「スプリンター」のマイナーチェンジで4ドアセダンが登場しました。
スプリンターはカローラの兄弟車ですが、その成り立ちは次の通りです。1966年、トヨタの小型大衆車の切り札としてデビューした「カローラ」は、バランスの取れた性能と快適性よって、大人気モデルとなります。ライバルの日産「サニー」を圧倒しますが、好調なセールスを維持するため車種強化を実施。1968年に、カローラより若々しいイメージを持つ派生車として、クーペスタイルの「カローラ・スプリンター」が投入されます。これがスプリンターのデビューです。
そして、1970年3月にカローラが2代目へと進化するのに伴い独立車種として5月にスプリンターもモデルチェンジ。このタイミングで、スプリンターという独立したモデルになりますが、当初のラインナップは2ドアクーペのみ、カローラクーペとの違いはフロントグリルなど僅かで、市場へのインパクトは小さいものでした。
そして、1971年8月のマイナーチェンジで4ドアセダンを追加。カローラとのさらなる差別化のため、カローラセダンよりも全長を若干長くして、デザイン面ではグリル周囲をボディカラーと同色でまとめたフロントマスクや大型化したリアコンビランプなどを採用しました。
このマイナーチェンジで、スプリンターはスポーティで華麗なモデルとして仕立てられ、名実ともにカローラと一線を画する兄弟車となったのです。
毎日が何かの記念日。それではまた明日!
(Mr.ソラン)