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■ホンダ1300セダンに続いて1300クーペが登場
1970(昭和45)年2月9日、ホンダから前年にデビューした「ホンダ1300セダン」に続いて「1300クーペ」がデビューしました。
DDAC(二重空冷)というユニークなエンジン冷却システムを採用したホンダ1300の、個性的マスクを持つクーペでしたが、システムが複雑すぎて空冷のメリットが消失し、短命に終わりました。
●ホンダ初の4輪小型乗用車1300シリーズ
1967年にデビューした空冷4ストロークエンジン搭載の「ホンダN360」の大ヒットによって、軽自動車で確固たる地位を獲得したホンダが、次に目指したのが小型乗用車への本格的な参入でした。
1968年の東京モーターショーで、空冷1.3Lエンジンを搭載したホンダ1300シリーズのセダンとクーペを公表。まず、翌年1969年にセダンの標準仕様「ホンダ77」、および高性能仕様の「ホンダ99」がデビューしました。注目は、F1用パワートレインにも投入された技術をフィードバックした空冷式1298cc直4 OHCエンジンでした。
一般的な小型車が水冷式を採用するなか、あえて空冷システムを選択したのは、本田宗一郎氏の強い思い入れがありました。軽量コンパクトで低コストがメリットの空冷式ですが、冷却効率やエンジン騒音面で水冷式より不利だったので、これらを解消するためにホンダの開発陣が開発したのが、ユニークなDDAC(デュオ・ダイナ・エアクーリングシステム:二重空冷)だったのです。
●本田宗一郎氏がこだわったDDAC
あくまでも空冷にこだわった本田宗一郎氏は、“水冷は加熱された冷却水を空気で冷やすのだから、エンジンを直接空気で冷やす方が単純で効率的、軽量にもなる”と主張。開発陣が水冷エンジンの良さを推奨しても一切、聞く耳を持たず、この空冷VS.水冷の社内での本田氏と開発陣との確執は、本田氏の有名なエピソードのひとつになっています。
そこで苦肉の策で開発されたDDACは、通常の空冷エンジンのシリンダーヘッドとシリンダーブロックの中に、水冷エンジンのウォータージャケットのような通路を設け、そこに空気を送って冷却する方式がとられています。ホンダのF1マシンと同じシステムで、水冷並みの冷却効率をアピールしましたが、構造が複雑で重くコストもかかり、結果として本来の空冷エンジンのメリットが消失することになってしまいました。
結果として、DDACを採用したホンダ1300は、重量が重く操縦安定性などでも大衆車としては扱いにくかったため、販売は期待したように伸びませんでした。
●意欲作の1300クーペが登場するも人気は不発
セダンに続いて1970年に登場した1300クーペは、シングルキャブの標準仕様「クーペ7」と、4キャブの高性能仕様「クーペ9」という2つのモデルを用意。丸型4灯のヘッドライトを備えた2分割式のフロントグリルや、流れるようなセミファストバックのスタイリングは、個性的なアメ車風でした。
エンジンは、セダンと同じ1.3L直4 SOHCの空冷DDACエンジンで、クーペ7の最高出力は95PS。110PSへチューンナップしたクーペ9は、当時としてはトップクラスの性能を発揮しました。車両価格は、スタンダード52.8万円(クーペ7)/デラックス67.8万円(ク―ペ9)。ちなみに、当時の大卒の初任給は3.7万円程度(現在は約23万円)でした。
ホンダが得意とするスポーティなモデルの1300クーペでしたが、セダン同様、人気を獲得することはできず、この1300シリーズの不人気と排ガス規制対応の困難さから、ついに本田宗一郎は空冷エンジンの生産を断念することを決断したのです。
1970年代は、オイルショック、排ガス規制の強化など自動車業界にとっては大きな変革期でした。結果として、軽量コンパクトが強みだった空冷エンジンと2ストロークエンジンが完全に市場から淘汰されました。ホンダの水冷エンジンへの変更は、やや遅れましたが必然だったのです。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)