“走るシーラカンス”三菱のフラッグシップサルーンとして長く君臨した「デボネア」はなぜそう呼ばれた?【歴史に残るクルマと技術019】

■三菱グループのショーファーカーとして活躍した長寿モデル

1964年に誕生した初代デボネア
1964年に誕生した初代デボネア

「三菱500(1955年)」と軽自動車「ミニカ(1962年)」で小型乗用車事業に参入した三菱重工は、1964(昭和39)年7月に高級車市場へフラッグシップサルーン「デボネア」を投入しました。

ただし、ライバルとしたトヨタ「クラウン」や日産自動車「セドリック」のように個人ユーザーへの普及は進まず、三菱グループ幹部のためのショーファードリブンカーの域から脱することはできませんでした。


●小型大衆車、軽自動車に続いて、高級乗用車市場に参入

1960年代初頭、三菱重工は本格的に自動車事業に参入し、1960年に大衆車「三菱500」、1962年には軽乗用車「ミニカ」を発売しました。

1960年にデビューした三菱初の乗用車である三菱500
1960年にデビューした三菱初の乗用車である三菱500

三菱500は、2ドアの先進的なモノコックボディのシンプルな3ボックススタイルの小型大衆車。500cc空冷直列2気筒 OHVエンジンをリアに搭載したRRレイアウトで、航空機技術をベースに技術的に優れた小型車でした。

軽自動車ミニカは、360ccの2気筒2ストロークエンジンを搭載し、駆動方式は当時主流のRRでなくFR、広いトランクスペースを持つ3ボックスタイプが特徴でした。

そして1964年に、戦後分離していた三菱日本重工と三菱造船、新三菱重工の3社が合併して三菱重工が誕生。これを機に、本格的なフルライン自動車メーカーになるため、その象徴としてフラッグシップとなる高級乗用車デボネアが開発されたのです。

●斬新なアメ車風の堂々たるスタイリングでデビューしたデボネア

デボネアが目指したのは、トヨペットクラウンやセドリック/グロリアに対抗できる日本の最高級車でした。

初代デボネアは、ボンネットとテールの両サイドにエッジを立てたアメ車風スタイリングが特徴
初代デボネアは、ボンネットとテールの両サイドにエッジを立てたアメ車風スタイリングが特徴

元GMの設計者がデザインした斬新なアメ車風スタイリングで、ボンネットとテールの両サイドにエッジを立て、太いフロントバンパーに広いフロントグリルなどを組み込んだ、堂々たる、当時最大のボディサイズが目を引きました。それを実現したのは、航空機技術を生かした単体構造フレームなど、航空機技術をベースにした多くの先進技術でした。

パワートレインは、2.0L 直6 OHVエンジンと4MT(後に3ATを追加)の組み合わせ。エンジンは、2バレル型キャブレーターを装備した高トルク型にチューニングされ、最高出力105PS/最大トルク16.5kgmを発揮し、最高速度155km/h、0-400m加速19.2秒と、高級車らしい力強い走りを披露しました。

デボネアの主要諸元
デボネアの主要諸元

車両価格は、クラウン・デラックスの105万円、セドリック・デラックスの103万円より、約20万円高い125万円。当時の大卒初任給は、2.1万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算で現在の価値にすると1370万円になります。

その斬新な堂々たるスタイリングから、道を走れば確実に注目される存在でしたが、高価格であったこともあり、残念ながらトヨタと日産が主導する高級車市場で存在感を示すことはできませんでした。

●なぜ“走るシーラカンス”と揶揄されたのか

デボネアは、1964年7月デビューから1986年8月に2代目となる「デボネアV」にバトンタッチするまでの22年間の長きに渡って、クルマが急速に進化したにもかかわらず、基本設計やデザインを変えずにほぼそのまま販売されたことから、“走るシーラカンス”と呼ばれたのです。

しかし、何も変わらなかったわけではありません。パワートレインは進化し続け、1970年には2.0L直6 SOHCエンジンに換装し、最高出力130PS/最大トルク17.0kgmに向上。1976年には、サイレントシャフト付で排気量を拡大した2.5L直4 SOHCエンジンとなり、最高出力120PS/最大トルク21.0kgmで、トルクフルかつ優れた静粛性が特徴でした。

シーラカンスと揶揄されたものの、この表現は正しいとは言えず、中身は格段に進化したのです。しかし、この間も市場での人気は獲得できず、三菱グループの幹部のためのショーファードリブンカーの域から脱することはできませんでした。

●その後、プラウディア/ディグニティとなり、最後は日産からのOEM車に

1986年にデビューした2代目デボネア(デボネアV 3000ロイヤル)
1986年にデビューした2代目デボネア(デボネアV 3000ロイヤル)

1986年にデボネアの2代目として登場したデボネアVは、従来のアメ車風から現代風のスタイリングに変わり、1992年の3代目デボネアと続きましたが、2000年にデボネアの名前は途絶えます。

2000年に登場したデボネアの後継プラウディア
2000年に登場したデボネアの後継プラウディア

その後を継いで、2000年に「プラウディア/ディグニティ(リムジンタイプ)」が登場。FFの最高級車セダンで、広々した後席スペースがアピールポイントでしたが、僅か1年余りの販売で生産を終えました。

2012年に登場した2代目プラウディア(日産フーガのOEM車)
2012年に登場した2代目プラウディア(日産フーガのOEM車)

そして、初代プラウディア/ディグニティの生産終了から11年の空白期間を経て、2012年に2代目が復活。2代目は、プラウディアが日産「フーガ」、ディグニティは「シーマ」のOEM供給モデルとなりました。

ただし、本家のフーガ/シーマとの違いは、グリルとエンブレム、ホイールキャップぐらいなので、三菱車のプラウディア/ディグニティ自体の存在感をアピールすることができず、2016年には販売を終え、三菱の最高級車は幕を下ろしたのです。

●デボネアが誕生した1964年は、どんな年

アローラインと呼ばれたシャープなスタイリングが特徴の3代目トヨペットコロナ
アローラインと呼ばれたシャープなスタイリングが特徴の3代目トヨペットコロナ

1964年には、トヨタの3代目「トヨペットコロナ(RT40)」、東洋工業(現、マツダ)の「ファミリア800セダン」、プリンス自動車の「スカイラインGT」も登場しました。

1964年にホロゲーションのために100台販売されたスカイラインGT
1964年にホロゲーションのために100台販売されたスカイラインGT

3代目コロナは、アローラインと称されたスタイリッシュなデザインに、優れた性能と耐久信頼性を兼ね備え、人気の日産「ブルーバード」から小型乗用車販売トップの座を奪取したヒットモデル。

ファミリアはマツダ初の大衆乗用車で、僅か4年の間に40万台を生産したマツダの自動車メーカーとしての地位を不動にしたヒットモデル。

スカイラインGTは2代目スカイランに「グロリア」搭載の2.0L直6エンジンを換装し、第2回日本グランプリで一時的ながら「ポルシェ904」をリードして伝説となった名車です。

その他、この年には日本の高度経済成長を象徴する東京オリンピックが開催され、それに合わせて東海道新幹線が開業、カルビー「かっぱえびせん」、ロッテ「ガーナチョコレート」、大関酒造「ワンカップ大関」が発売されました。また、ガソリン48円/L、ビール大瓶120円、コーヒー一杯70円、ラーメン60円、カレー120円、アンパン12円の時代でした。


アメリカ車を見事にスケールダウンしたようなオリジナリティあふれるスタイリングと、それを実現した航空機の生産技術。商業的には、決して成功したとは言えなかったデボネアですが、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いありません。

Mr.ソラン

この記事の著者

Mr. ソラン 近影

Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
続きを見る
閉じる