東洋工業初の本格乗用車「マツダ・ファミリア800」の登場が、マツダをフルライン自動車メーカーへと導いた【歴史に残るクルマと技術018】

■大ヒットしたファミリアシリーズの先導役となったファミリア800

1964年にデビューしたファミリア800 セダン
1964年にデビューしたファミリア800 セダン

東洋工業(現、マツダ)は、1960年に発売された軽自動車「R360クーペ」と、1962年の「キャロル」で乗用車市場に参入しました。

続いて1964年10月に投入されたマツダ初の小型大衆車「ファミリア800」は、アルミエンジンを搭載した先進的なファミリーカーとして大ヒット。マツダの小型乗用車市場への参入は大成功となりました。


●マツダ初の乗用車は、軽のR360クーペとキャロルから始まった

第二次世界大戦後に3輪トラックで成功を収めた東洋工業は、1955年に政府が提唱した“国民車構想”に呼応して、乗用車市場進出のトップバッターとして1960年に「R360クーペ」を投入しました。

1962年にデビューしたマツダ初の軽乗用車R360クーペ
1960年にデビューしたマツダ初の軽乗用車R360クーペ

国民車構想とは、国産乗用車の開発を促進するために、規定の条件(排気量350~500cc/最高時速100km/h以上/車速60km/hでの燃費30km/L達成/定員4名/販売価格25万円以下)を満たしたクルマを開発したメーカーに、国がその製造と販売を支援するという内容です。

1963年にデビューしたキャロル360。軽乗用車初のアルミ合金エンジンを搭載
1962年にデビューしたキャロル360。軽乗用車初のアルミ合金エンジンを搭載

軽乗用車のR360クーペは、空冷2気筒4ストロークエンジンとトルコン付AT、4輪独立懸架のサスペンションなど、最新技術を採用してヒットモデルとなり、1962年には第2弾として、同じく軽乗用車の「キャロル」を発売。R360クーペが基本的には2人乗りであったのに対し、キャロルは大人4人が乗れる大衆車として、水冷4気筒4ストロークエンジンで静粛性を向上させ、R360クーペを上回る人気を獲得しました。

●乗用車メーカー再編成構想に対応して小型乗用車市場に進出

1961年、政府は国民車構想に続いて、“乗用車メーカー再編成(3グループ)構想”を発表して、メーカーに検討を依頼しました。これは、乗用車メーカーを「量産車グループ」と「スポーツカー/高級車グループ」、「軽乗用車グループ」の3つのグループに分けるというものです。

この乗用車メーカー再編成が実施されれば、当時、軽自動車しか作っていなかったマツダは、軽乗用車グループに分けられ、フルライン自動車メーカーの夢が絶たれる可能性があることから、小型乗用車の市場への投入を急ぐ必要がありました。

そこで、マツダは小型乗用車の開発を急ぎ、1962年の“東京モーターショー”で小型大衆車のプロトタイプを展示し、小型車の開発が順調に進んでいることをアピールしたのです。

ちなみに、乗用車メーカー再編成構想は、独立独歩を希望する自動車メーカーの反対によって、実際には実現しませんでした。

●小型車市場への進出は、ファミリアバンとファミリア800で始まった

1963年にデビューしたファミリア 800バン。マツダ初の小型乗用車
1963年にデビューしたファミリア 800バン。マツダ初の小型乗用車

マツダが投入した小型車の第1弾は、当時、高級ライトバンの需要が高いという判断から、1963年発売の「ファミリアバン」でした。ファミリアバンは、最高出力42PSを発揮するアルミ合金製の782cc直4 OHVエンジンを搭載し、最高速度は105km/h、最大積載量400kgと実用性の高い商用車でした。

そして翌1964年、本格的な小型大衆車「ファミリア800」がデビューしました。基本的にはバンの主要コンポーネントを流用して、クロームのモールディングがボディの外側をぐるりと取り巻いた斬新なスタイリングと、当時としては先進的なフルフラットデッキボディの5人乗りの4ドアセダンです。

ファミリア800の主要諸元
ファミリア800の主要諸元

パワートレインは、バンと同じアルミ合金製の782cc直4 OHVエンジンをフロントに縦置きにしたFRレイアウトで、トランスミッションは4速MTが組み合わされました。

最高速度は115km/hで、大衆車として世界レベルの動力性能を誇り、完成度の高いファミリーカーとして人気を獲得。車両価格は、デラックスグレードで54.8万円。当時の大卒初任給は1.9万円程度(現在は約23万円)なので、単純計算で現在の価値では約660万円になります。

●ラインナップ拡大でファミリアシリーズの人気爆発、4年で40万台達成

ファミリアシリーズのラインナップ展開は凄まじく、「ファミリアバン」「ファミリア800」に続いて、翌11月に「ファミリア800(2ドアセダン)」、翌12月には「ファミリアトラック」と、わずか1年余りで4つの異なるスタイルのモデルを登場させました。

1967年にデビューしたファミリア1000 4ドアセダン
1967年にデビューしたファミリア1000 4ドアセダン
1965年にデビューしたファミリアクーペ1000。優れた動力性能を発揮
1965年にデビューしたファミリアクーペ1000。優れた動力性能を発揮

さらに、1965年4月にはトルコンAT仕様を追加、10月に最高出力52PSのスポーツ仕様「ファミリアS」、11月に「ファミリアクーペ1000」、1967年1月には排気量1.0Lの「ファミリア1000(4ドア/2ドア/バン)」を発売。この間、1964年12月にファミリアシリーズは、月産1万台を超え、1966年2月に生産累計20万台を達成しました。

そして、ファミリアバンから僅か4年の1967年9月には、生産40万台を超える大ヒットになったのです。

●ファミリア800が誕生した1964年は、どんな年

1964年にデビューした3代目トヨペットコロナ
1964年にデビューした3代目トヨペットコロナ

1964年には、トヨタの3代目「トヨペットコロナ(RT40)」、三菱重工(現、三菱自動車)の「デボネア」、プリンス自動車の「スカイラインGT」も登場しました。

1964年にホロゲーションのために100台販売されたスカイラインGT
1964年にホロゲーションのために100台販売されたスカイラインGT

3代目コロナは、アローラインと称されたスタイリッシュなデザインに、優れた性能と耐久信頼性を兼ね備え、人気の日産「ブルーバード」から小型乗用車販売トップの座を奪取したヒットモデル。デボネアは、三菱が日産自動車「セドリック」、トヨタ「クラウン」に対抗するために投入した、当時の国産乗用車としては全長、ホイールベースとも最長の最高級乗用車。スカイラインGTは2代目スカイランに「グロリア」搭載の2.0L直6エンジンを換装し、第2回日本グランプリで一時的ながら「ポルシェ904」をリードしたスカG伝説を作った名車です。

その他、この年には日本の高度経済成長を象徴する東京オリンピックが開催され、それに合わせて東海道新幹線が開業、カルビー「かっぱえびせん」、ロッテ「ガーナチョコレート」、大関酒造「ワンカップ大関」が発売されました。また、ガソリン48円/L、ビール大瓶120円、コーヒー一杯70円、ラーメン60円、カレー120円、アンパン12円の時代でした。


先進のアルミエンジンを搭載したマツダ初の本格小型乗用車、大ヒットしたファミリアシリーズの中核モデルとしてマツダの飛躍を支えたファミリア800。日本の歴史に残るクルマであることに、間違いありません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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