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■市場投入に先立ちスピードトライアルで卓越した走りをアピール
トヨタは、「トヨタ2000GT」デビューの前年1966年(昭和41)年10月1日~4日にかけて、日本初の78時間連続走行によるスピードトライアルに挑戦しました。
10月4日に見事完走を果たし、最終的に48時間/72時間/1万5000kmの世界記録と、2000GTの属するEクラスにおいての13の世界記録を樹立、世界トップの走りを実証したのです。
●1965年東京モーターショーで衝撃のデビュー
トヨタは、1965年第12回東京モーターショーに、ヤマハ発動機と共同開発した日本初の本格スーパースポーツ・トヨタ2000GTのプロトタイプを出品。詳細なメカニズムは公表されませんでしたが、純白のバランスの取れた流線形のスタイリングと豪華なインテリアは、見るものを魅了しました。
プロトタイプ第1型は、6台ほど製作され、モーターショーなどへの出展の他、実車試験に積極的に活用されました。レース用マシンに仕立てられた車もあり、スピードトライアル用のマシンも、試作1型をチューニングしたものでした。
当時は、1963年に始まった日本GPを頂点にモータースポーツが盛り上がりを見せ、レースに勝つことが車の人気と販売促進につながったため、自動車メーカーとしては高性能スポーツを開発し、レースで勝つことが至上命題だったのです。
●トヨタ2000GTがスピードトライアルで世界記録樹立
東京モーターショーの翌年、また発売の前年となる1966年10月1日~4日、トヨタは2000GTの性能をアピールするため、谷田部の日本自動車研究所高速試験場で日本初のスピードトライアルに挑戦しました。
スピードトライアルとは、FIA(世界自動車連盟)の公認のもとで、文字通りスピードを競うチャレンジ。速度記録は、絶対的な世界記録とクラス分け(2000GTは、排気量1500cc~2000ccのEクラス)された最速記録に分けられます。
チャレンジした2000GTは、ボンネットをグリーンに塗り分け、フォグランプの位置にロングレンジランプを装備。2.0L直6 DOHCエンジンは、ウエーバー製キャブを3連装し、200PS/7000rpmまでチューンアップされ、10月1日に3日後のゴールを目指してスタートしました。
まず、クーパーの持つ6時間の国際記録を更新、その後も順調にラップを重ねます。2日目の風雨の悪天候を乗り越え、10月3日には走行48時間の世界記録203.9km/hを達成。そして、スタートから78時間3分後の10月4日午後4時9分に無事チェッカーフラッグを受けたのです。
最終的に48時間/72時間/1万5000kmの世界記録と、13のEクラス国際記録を樹立。このチャレンジによって、2000GTの性能が世界トップであることを実証しました。
●市販化されたトヨタ2000GTは、今なら2000万円超のスーパーカー
スピードトライアルの翌1967年5月16日、ついにトヨタ2000GTがデビュー。ロングノーズにリトラクタブルライトを組み込んだ流線型ボディに、インテリアはローズウッド材のインパネやレザーのバケットシートなど、豪華な仕様が採用されました。
ヤマハ主導で開発したエンジンは、2.0L直6 DOHCにソレックス・キャブ3連装を装着し、トランスミッションは5速MTで最高出力は150PS。最高速度220km/h、0→400m 5.9秒、0→100km/h 8.6秒は、他を圧倒する数値でした。
ステアリングはラック&ピニオン、サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン、ブレーキは4輪サーボ付きディスクと、足回りについても最新技術が投入されました。
車両価格も破格で、当時のクラウンの約2倍の238万円、大卒初任給が約2.5万円(現在は、約23万円)の時代だったので、今なら2000万円超でしょうか。まさしく庶民には手の届かないスーパーカーだったのです。
見る人を魅了する流麗なフォルムと当時の先進技術満載の2000GTは、50年以上経った今でも多くの伝説が語り継がれている名車中の名車。日本の技術が、世界レベルに到達したことを実証した歴史的な車です。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)