マツダ初の乗用車「R360クーペ」が「スバル360」とともに日本の軽自動車を開拓した背景は?【歴史に残る車と技術007】

■スバル360に対抗して国民車構想を具現化したR360クーペ

1960年にデビューしたマツダ初の乗用車R360クーペ
1960年にデビューしたマツダ初の乗用車R360クーペ

1960(昭和35)年5月28日、マツダ(当時は東洋工業)初の乗用車「R360クーペ」が発売されました。

当時は、1955年に政府が発表した国民車構想に呼応して続々と新型車が登場。東洋工業が「スバル360」に対抗して放った軽乗用車が、先進技術満載のR360クーペだったのです。


●マツダの起源は、クルマとは無縁の東洋コルクから始まった

マツダのルーツは、1920年の東洋トルク工業まで遡ります。東洋トルク工業は、その名の通りコルク瓶栓や断熱材などを製造する会社として設立。創業の翌年に、松田重次郎氏が2代目社長となり、将来性を見据えて機械製造への進出を図り、1927年に社名を東洋工業へ変更します。

1931年に発売されたマツダ号DA型 3輪トラック
1931年に発売されたマツダ号DA型 3輪トラック

折しも日本は、戦争に備えて軍備を強化している時期で、東洋工業は戦闘機のエンジンやプロペラ、精密機器の製造などの大量受注によって会社は急成長。この成功と培った技術をベースに、東洋工業は自動車の製造に参入します。

バイク製造から、それを利用した3輪トラック(オート3輪)へと進み、1931年に発売された3輪トラック「マツダ号DA型」は、大ヒットを記録しました。

しかし、第二次世界大戦が近づいた1930年後半には、東洋工業は軍需企業に指定され、本格的な軍需生産へのシフトを強いられます。

そして1945年8月6日、広島に原爆が投下され、終戦を迎えることになりました。多くの社員や家族が犠牲になりましたが、幸いにも東洋工業の本社と工場は爆心地から離れていたので、運よく大きな被害は避けられました。

●国民車構想に呼応してマツダ初の乗用車R360クーペ投入

終戦から僅か4ヶ月後には、3輪トラックの生産を再開、終戦後は物資の輸送のために3輪トラックが大人気となり、東洋工業は3輪トラックでトップメーカーへと躍進します。この頃から、東洋工業は自動車総合メーカーとして、乗用車への進出のチャンスをうかがっていました。

そして、乗用車が徐々に増え始めた1955年、通産省は乗用車の開発を促進するため「国民車構想」を発表。国民車構想とは、下記の要件を満たす自動車の開発に成功すれば、国がその製造と販売を支援するという内容です。

・定員4人、排気量350~500cc
・最高時速100km/h以上、車速60km/hの燃費30km/L
・販売価格25万円以下、月産3000台以上、など

実際には、目標が高すぎて自工会が達成不可能と表明するなどして実現できず、構想そのものは不発に終わりました。東洋工業は、すでに戦前から乗用車の開発に取り組んでおり、国民車構想に呼応する形で、長年の夢だった乗用車進出を360クーペで実現させたのです。

●先進技術を駆使したR360クーペは大ヒット

R360クーペの空冷2気筒4ストロークエンジン、トルクコンバータ付AT
R360クーペの空冷2気筒4ストロークエンジン、トルクコンバータ付AT

国民車構想が火付け役となり、各メーカーから競うように新型乗用車が投入され、軽自動車では富士重工のスバル360が絶大な人気を獲得していました。

その対抗馬として投入されたR360クーペは、2人の大人と2人の子どもが乗れるスポーティで近未来的なスタイリングを採用。最大の特徴は、モノコックボディと軽量エンジン、さらにプラスチック製の湾曲したリアウインドウや、前後スライド式サイドウインドウによって、当時の乗用車の中で最も軽い380kgの軽量ボディを達成したことです。

R360クーペの主要スペック
R360クーペの主要スペック

パワートレインは、空冷2気筒の軽乗用車初の4ストロークエンジンと、4速MTおよび2速ATの組み合わせ、4輪独立懸架のサスペンションなど先進技術を採用して、優れた走りと乗り心地を実現し、最高速度は90km/hを記録しました。

東洋工業の技術の粋を結集したR360クーペは、洗練されたスタイルと、スバル360の42.5万円に対して30万円(MT)/32万円(AT)という破格の低価格で大ヒットを記録。当時の大卒初任給は1.3万円程度なので、単純計算で現在の価値では530万~560万円程度と、まだまだ一般庶民には高価な買い物でした。

●キャロル、ファミリアと続いて乗用車メーカーとしての地位を確立

1962年に登場した軽乗用車キャロル
1962年に登場した軽乗用車キャロル

R360クーペの成功によって乗用車市場に進出した東洋工業は、1962年には第2弾として軽乗用車「キャロル」を発売。R360クーペが実質2人乗りであったのに対し、キャロルは大人4人が乗れるファミリーカーで、同じく人気を獲得しました。

1964年に登場したファミリア800セダン
1964年に登場したファミリア800セダン

1964年には、待望の小型車「ファミリアセダン」を投入。最高出力45PSの783cc直4水冷4ストロークエンジンを搭載して、最高速度は115km/hと世界レベルの動力性能を発揮。これにより、小型車市場にも参入した東洋工業は、総合自動車メーカーとして歩み始めたのでした。

R360クーペは、マツダ初の乗用車というだけでなく、軽自動車で初めてクーペを名乗った特別なクルマです。スバル360の陰に隠れがちなR360クーペですが、軽自動車の市場を開拓したのは、間違いなくスバル360とR360クーペの2台なのです。

●R360クーペが誕生した1960年は、どんな年?

1960年にデビューした日産「セドリック」
1960年にデビューした日産「セドリック」

1960年4月には、日産自動車の高級車「セドリック」がデビューしました。1955年にデビューしたトヨタ「トヨペットクラウン」と40年以上にわたり、高級車市場を二分した日本を代表する高級セダンで、車両価格は101万円でした。今なら約1800万円以上なので、まさに高嶺の花の高級車です。

その他、世界初となるソニーの「トランジスターテレビ」が発売されてカラーテレビの放送が開始。当時の白黒TVは5万円(14型)で普及率は45%、カラーTVは42万円(17型)でした。また、ビール大瓶125円、コーヒー一杯60円、ラーメン45円、カレー110円、吉野家の牛丼120円、アンパン12円の時代でした。


マツダ初の乗用車であり、軽自動車で初めてクーペを名乗ったR360クーペ。日本の歴史に残るクルマであることに、間違いありません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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